2005/10/19

[雑文・よってたかっての正義感]

最近のネットは恐い。
昔のネットをそんなに知っているわけではないけれど、ここのところのネット社会の雰囲気は恐い。

いやもしかしたら、それがネットの本質かも知れないけれど・・。

子供料金でサッカー場に通っていた大学生
街中であかの他人を盗撮して、中傷した主婦
患者の悪口を書き散らした医師
盗作を指摘されたコミック作家・・・・・etc

皆、誰がしたともわからないネットの指摘からはじまり、
あっという間に本人やその所属する団体への(正当なものから誹謗中傷までの)メール攻勢、複数の掲示板における弾劾へと発展し、
ケースによってまちまちだけれども、最後には自分のブログの閉鎖から、個人情報の暴露、あるいは仕事を失うまで、さまざまの形で、いわば制裁が加えられて終わりとなる。

そういう一連の流れがセットになった個人叩きが、ここのところ本当によく目につくのである。

注目すべきは、問題になるのが不正の大小ではなくて、不正の有無であるということ。
当事者でないものが当事者に謝れということ。
抗議だけではなく、まとめサイトだの、検証だのに多数のものすごいエネルギーが、一気に投入され、ことが終われば忘れ去られるということ。

有り体にいってしまえば、これは勝てると思った勝負に、不特定多数の人間が、祭り感覚でよってたかって正義感を発揮する、ある種の私刑である。

別に指弾される側の行為を弁護はしない。
というより、対象が、皆がこれは反論の余地がなかろうと思う類のことだから、弁解の仕様のないことが多い。
にしても、この空気は危ういし、生理的に気持ち悪いではないか。
なにしろ彼等は悪いことをしたから責められるのだけれども、それ以上に悪いことを見つかったから責められているからだ。

さらにいうならば、対象者の社会的地位なり、立場みたいなものが、微妙に影響していることも透けて見える。
叩いても無駄なくらいの権力者や、団体は叩かない。
ただのおばさんなんかにも、それほどのエネルギーを向けない。
ちょっと高学歴だったり、いい仕事についている場合、あるいはネット上でちょっとした地位を築いたりしている個人が、一番盛り上がるみたいだ。

要はもやもやとした不満のはけ口なのだ。
水槽の水をこぼしてしまった同級生を、いーけないんだ、いけないんだとはやし立てている、小学生のノリだ。
殴られそうな乱暴者にはけっしてはやし立てないし、ちょっと美人の女の子には、泣くまでしつこくやる、あれと同じである。

いいたいことはたくさんあるけれど、とにかく私は嫌だ。
気持ち悪くて、陰湿で、吐き気がする。
そして、万が一これがある種の幻想なり、歴史観なりと結びついたらと思うと、この国の未来を心底憂いてしまう。

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2005/09/08

[雑文・明日は飲みにいくんだけどね]

選挙ですね。
あまり政治的なことは書かないのだけれど、たまにはいいでしょう。

物事は少しずつ変化していき、昨日と今日では何のかわりもないようなのに、ふと気がつくとずいぶん遠くにきてしまっているということがよくあります。
いつから、何故こうなってしまったのか?
多くの変化は、何となく、知らぬ間に訪れ、過ぎ去っていきます。

けれども、歴史家よろしく、あとからよくよく検討してみれば、ターニングポイントというものは、どこかにあるのではないでしょうか。
実は意外にわかりやすい形で・・。

この国は今そのポイント、方向転換するかではなく、引き返せるかのポイントですが、そこにさしかかっているように思えるのです。

日本はずっと長い間、世界でもまれな平等の行き渡った国でした。
要するに金持ちと貧乏人の差が小さく、努力すれば、そこそこ報われる世の中でした。
そんなことはないとおっしゃる方は、「アメリカンドリーム」という言葉の日本語バージョンが、なぜにないのかを考えてみてください。そしてアメリカでは金持ちになることがなぜに「ドリーム」なのかを。
そんなことはめったにおこらないから「ドリーム」なのです。
貧乏人はいつまでも貧乏、金持ちに生まれれば、金持ちの人生。それが行き渡っているからこそ、そこから抜け出すことが「ドリーム」なのです。
アメリカの金持ちは本当に馬鹿みたいに金持ちですが、そこに行き着くのは、日本で小金持ちになるとは桁違いの努力と能力と「幸運」がなければならないのでしょう。

一方、世界でもっとも成功した「社会主義国」とさえいわれた日本ですが、要するに今、「ドリーム」のない国からある国へと、米英型の社会へと舵を切っているのであります。
自己責任だとか、勝ち組負け組、あるいは弱肉強食、キーワードには事欠きませんが、
つまるところ、今までみんなで豊かになる分には構わなかったけれど、国民そろって貧しくなることなどできない。だから、ひとにぎりの富裕層に引っ張っていってもらおう、そういう世の中です。
(それで「ドリーム」の部分だけに着目して発言しているのが堀江さんですね)

どちらにせよ大部分は貧しくなるのだし、そもそも富裕層がちゃんと全体を引っ張っていってくれるかどうか、きわめて怪しい話ですが、それでも、ふつうならとっくに国家が破たんするくらいの借金をかかえているのです、貧乏するのは仕方がないのかも知れません。
現状の打開策として、それもありなのかもと思ったりもします。

しかし、わたしにどうにも理解できないのが、この国の誰もが、自分が貧困層に落ちてしまう不安を抱かないことです。
何度も書くように、アメリカの例を引くまでもなく、一度貧困層に落ちてしまえばそこから這い上がるのはほとんど「ドリーム」です。そこには努力とか能力に無関係な、理不尽な世界があるわけです。
イギリスにいたってはあまりに階級が固定したためか、言葉から体格まで違ってしまったくらいですから。

それだというのに、なぜか自分はそうはならないと、どうしてそんな根拠のない自信があるのでしょう?

東欧の旧社会主義国に暮らしている友人がいます。
彼の国の老人の中には、住宅が個有資産化された時、首都の一等地のアパートがタダのような値段で払い下げられたにもかかわらず、かたくなに購入を拒んだ人たちが多くいるそうです。
その後アパートに家賃がかかるようになり、老人たちは追い出され、みじめな暮らしに落ちました。
平等な社会主義下で生きてきた彼等には、たとえただに近くとも、自分達の住居にお金を出すことが理解できなかったのです。

いまのほほんと「改革」を支持する人たちは、この社会主義下の老人ではないのですか?
子々孫々、一族の浮沈の分かれ目にいるのだと、少しでも思いいたったのならば、たとえ賛成するにせよ、もっと殺伐とした雰囲気になるはずなのだと思うのですが。

大上段に構えてものをいいますが、もし、わたしが人より優れていることがあるとするならば、それは絵が上手に描けるとか、そういうことではなくて、世の中よりはいくぶん早く、あるいはいくぶん深く、真理を見出せるということだと自負しています。
自分というフィルターを通して見たもの、感じたものを提示するのが、芸術家という人たちの仕事で、そのフィルターが優れていればいるほど、現象を濾過したあとに、本質が残るわけです。

で思うわけです。今結構ヤバいんだよと。

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2005/06/24

[雑文・カブトムシ]

昨日ちょっと買い物があって、近くのダイエーへ行った。
ちなみに、近いと書いたが本当はちっとも近くない。なぜ閉店したんだマルエツ田島店。
・・・などとぼやきは置いといて、とにかく行った。

レジで会計を済ませて、ふと横を見ると、プラスチックのケースが置いてあって、何やらうごめくものがある。
おぉカブトムシではないか。

一応男の子なので、カブトとかクワガタとかには心が騒ぐ。
思わずケースに顔をつけて観察に及んだのである。

この黒光りする色。頭のところのライン。・・・いいねぇ。

ケースの大きさにたいして明らかに定員オーバー、やたらと詰め込まれている奴らを鑑賞していると、
端のところに小さな値札がついていることに気がついた。

なんだ売り物か・・・・
・・・・・へっ・・・
・・・なななな、ななひゃくはちじゅうえん?

780円だとぉ、むちゃくちゃ高いやないの。

考えてみれば、おじさんが本当に男の子だった頃、カブトムシ売りという新商売が世の中にあらわれて、当時の良識派の人々のひんしゅくを買ったわけだけれど、
たしかあの時の単価は100円だったよ。

いくら時代が違ったとはいえ@780円っていうのはどうなんだろう。
もちろん、わたしが子供の頃だって、虫だの何だのずいぶん少なくなっていたけれども、それにしたって、もう少し自然と人間の距離は近かった。
昔はカブトムシごとき、ちょっと山の方に行けば、いくらでもとれたし、もう少しグレード?の落ちるムシなら町中でもみつけられたものだ。
このカブトムシは値段から考えて養殖なのかも知れない。

安ければいいとかの問題ではないけれど、
このぶんだと生まれてこのかた、カブトムシを触ったことがないなんていう子供も多いのではあるまいか?

余談だけれど、aikoにカブトムシという曲がある。
明らかに冬の歌なのになんでカブトムシなんだというツッコミにたいして、本人がいうに、カブトムシの成虫は冬になると死んでしまうってことを知らなかったという、ほとんど嘘みたいなホントの話があるのだけれけども、
aikoもあまりの高価さにカブトムシを買ってもらえなかったくちだろう。

だからなんというか、ちょこっと困ったもんだと
あんまり上っ面の自然賛美はしたくないけれど、
なんでも105円の雑貨コーナーの横で、780円のカブトムシが売られている光景は、やっぱり変だ。

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2005/05/12

[時事・イラクのことなど]

前はよく時事ネタなどを書いていたのだけれども、最近はほぼレッズ系日記サイトと化している当ページであります。
なぜにそうなったのかというと、まぁよく解らないのだけれど、なんか世間にたいして文句つけたり、物言ったりすることで、自分の中で全然カタルシスを得られない、むしろ疲れたり、いやな気持ちになることが多いってことに気付いたってわけなんですね。
いや、もちろんいいたいことをいうのが気持ち悪いはずがないのだけれども、
それはあくまで酒を飲みながら、くだをまくレベルであって、ブログでいくら気を使いながら、自分なりの正論を書いたところで、ちゃんとした反応も反論もない。
これはとても精神衛生上よくないことだと思うのですよ。

まぁそれはそうと、最近またイラクで人質になった方がいて、ひさびさにいろいろ考えたのです。
思えば最初の人質事件があった時、わたしもいろいろここに書いたなぁと。
そして、あの大騒ぎはいったいなんだったのだろうかと。

たとえばあの時、あれほど氾濫していた「自己責任」って言葉はどこにいってしまったのでしょうか?
今回の斉藤さんという方は、傭兵のような仕事をなさっていたというのだから、これはもう、亡くなられても自己責任以外なにものでもないのだけれど、そういう事はもう誰の口の端にものぼらないほどの、共通認識と相成ったわけですか?

もし仮に、最初の三人と、今回のケースが逆の順番だったらどうでしょう?
斉藤氏にも、あの嵐のようなバッシングはあったのか?
また、斉藤氏の家族は「このことで国の方針が変わらぬように」という、政府が泣いて喜ぶようなコメントを出したでしょうか?
あるいは今だったら、高遠さんの家族は、あのエキセントリックな救出活動をあえてやったですかね?

そして2つの人質事件の間で、惨い殺され方をした香田さん。
自己責任で首を落とされて、その映像を世界中に流されてしまった彼。誰か彼のことを覚えていますか。
外交官の方や、ジャーナリストの方は、その御家族の悲しみにかわりはないにせよ、少なくともその死をいたんでもらえたのに。

物事が終わったあとでは、いかようにでも語る事ができるわけです。
で、大切なのは、その時々で考え、答を出し、間違っていたらまた考え、それでも間違っていたら改めて、というような、真面目さなのだと。
そして大事な事は忘れないで、流されないで、尻馬に乗らないで、きちんと取り組む真摯さなのだと。
そんな事を思ったのでした。

ああ、それがおっくうだから時事ネタを書かなくなったんだなぁ。
あいかわらずちっともカタルシスを得られないのだけれど、久々に世間に向けて呟いてしまいました。

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2005/03/03

[時事・Little Black Sambo]

もう15年近く前、私もまだ若くてばりばりしていた、正確には1988年のことである。
「ちびくろサンボ」絶版騒動というのがあった。

この有名な絵本が、人種差別であるとして、各出版社が相次いで絶版にしたという事件だ。
この時、岩波版を始めメジャーどころは、軒並み「サンボ」をお蔵入りさせてしまったので、おそらく今二十歳くらいまでの若い人は、この事件どころか物語じたい全然知らないだろう。

その頃、高校の教員で、図書視聴覚という仕事を割り振られていた私は、生徒を集めて、年に二回ほど「図書館報」という、広報の小冊子を作る、というか、作らせる係をしていた。
で、何しろ今よりエネルギーがあったもので、せっかく世間で話題になっていることだし、ひとつこの絶版問題で特集を組んでみようと、生徒を焚き付けたわけだ。

調べてみると、結構根の深い話だった。

客観的事実としては、アメリカにおいて「サンボ」というのは、日本でいうところの与太郎的なニュアンスを持つ名前で、これにちびくろ、すなわちlittle blackがつくと、あからさまにアフリカ系に対する差別語となるということだ。
これにプラスして、当時の政府のお偉いさんの人種差別的な失言、カルピスマークなどに代表される、日本国内の"無邪気な"ステレオタイプの氾濫などが、拍車をかけた。

なかには、物語に出てくるサンボの行動が愚かしいとか、記述された服装にセンスがないとか、ほとんど指摘している方が差別的なんじゃないかという理由があったり、絶版を求めたのが、もともと一家族の家庭内市民運動みたいなところだったりと、ちょっと首をかしげるような部分もあったのだけれど、とにかく世の中の雰囲気とタイミング、横並びの風土などが絶妙にからみ合って、あっという間にすべての出版社が絶版にしてしまったのである。

新聞などでも大きく取り上げられたけれど、アメリカではとっくの昔にお蔵入りしているし、(ちなみに「ハックルベリー・フィンの冒険」なども同じ運命をたどってる)
まぁ、なんだかんだいっても、差別的な部分があるのならば仕方ないのかと、何となく世間は(というほどみんなが関心を持っていたとも思えないけれど・・)納得しかけていたのだった。

私が、件の小冊子の特集にと思い立ったのはそんな時期で、径書房の出していた『「ちびくろサンボ」絶版を考える』なんて本を片手に、上記のようなことをにわか勉強したわけだ。

思えば素直なよい生徒たちで、結構真面目に原稿を仕上げてくれて、この時の図書館報はなかなかにアカデミックな仕上がりとなった。
私としても、興味深い内容と完成度の高さで、出来上がったものをどのくらいの生徒が読んでくれたかはさておいても、思い出に残る仕事だったのであった。

・・・・・・・・・・・・

さてその後、あまりに有名な物語に関しての、あまりに性急な展開に、さすがに検証してみようという動きがでた。

特に私の心に残ったのは、
もともと「ちびくろサンボ」はインドのとある地方を舞台にした話なのだけれど、現地ではサンボという名前は、たいへんポピュラーなこと、だからアメリカにおいて差別的であっても、インドにおいては差別的でないという事実だった。(ちなみに作者ヘレン・バナマンはイギリス人である)

イギリスでもアメリカでも、もちろんインドでもない日本において、この物語は差別的なのか?
あるいは自分の名前が外国に行くと差別的な意味合いをもつのだといわれた、多くのサンボさん達にとっては、絶版こそが差別なのではないか?
差別という問題までが、世界基準という名の欧米文化基準で語られることには、問題がないのか?

私にはちょっと簡単に答えが出せそうになかった。
ただ上っ面だけで、物事を語ってはいけないのだと思った。

・・・・・・・・・・・・

今回その「ちびくろサンボ」が復刊されるのだという。
いったいどういう理由があって、どういう考えのもとに、復刊にいたったのだろう。

15年たっても私の答えは出せなかったのだけれども、このさい差別かどうかなんてどうでもいい。(どうせすべてを納得などさせられないのだから)
ただことの是非より、復刊を決めた経過が知りたいなと、そう思った。

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2005/02/03

[時事・車掌さんと受験生]

新幹線を乗り間違えて試験に遅れそうな受験生を、本来止まらない駅で臨時停車させて降ろした、というニュースがあった。
列車は3分ほど遅れたのだけれど、別に車掌の独断ではなくて、指令センターも後続に影響がないことを確認しており、他の乗客にもアナウンスで説明した上だという。

ニュースはコメント抜きに事実関係だけ伝えたのだけれど、最初にこれを聞いた時の感想は、
へぇ、今時、気のきいた処置をする車掌さんもいるんだなぁと。
普通なら、受験生に相談された時点で「無理です」で終わりだろう。
それを指令センターに問い合わせているのは、この人が、縁もゆかりもない高校生に対して、なんとかしてあげようと思ったわけだ。

気の弱い人なら、そんなことをお伺いを立てたら、出世に響くくらい思うかも知れないし、そうでなくとも、通常業務以上のこと、相手にしなくてもどこからも文句のでないことだ。
勇気とまではいわないけれど、結構男気のある(女性だったらゴメンなさい)行為だと思う。

ところが、ネットを見ていたら、思いのほか否定的な意見が多いのだ。
車掌というより、直接受験生にたいしてなんだけれど、
曰く、3分とは言え全体に迷惑をかけたのであり、それで乗り継ぎ遅れた乗客もいるのではないかとか、
同じような状況で、自分が悪いとあきらめた受験生がいたらどうするんだとか。
イラクの人質よりたちが悪いなんて書いていた記事もあったな。

なんかせち辛い。

そりゃこの高校生はほめられたもんじゃないけれど、
「これから気をつけろよ、いい車掌さんで良かったね」って、それでいいんじゃなかろうか。
後で親が小言をいって、子供と二人で菓子折もって駅に謝りに行けばいいことなのである。

実際に他の乗客や、同じように遅刻しそうな受験生から、クレームがつくような世の中なのかなぁ。
所詮人に迷惑かけずに生きていけないんだから、人から受けた多少の不愉快には寛容になれないものだろうか。

だって突き詰めていけば、高校生に対処した車掌さんだって、悪いことになるでしょ。
そしたらこの奇特な車掌さんだって、(あるいは許可を出した指令センターだって)責任があるわけだ。

いかにも息苦しい。

この程度のことに正論ふりかざして、わいわいいっても、世のなか生きにくくなるだけだろうに・・・。
もう少し、大らかになろうよと、思う私なのであった。

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2005/01/20

[雑文・書くこと、描くこと]

ちょいと更新が滞ったりすると思うのだけれど、
私は文章を書くことは好きなんだけれども、仕事にはなり得ないってことだ。
(いや、あたりまえだけれど)

こうして、ブログなどやっているのは、ちょうど高校生の時、やたらと部活動に燃えて、毎日、絵ばかり描いていた頃と似ている。

あの頃は本当に絵を描くことが楽しかった。
高校の三年間で、油絵は100枚以上ものにしたから月に3枚、10日に一枚は仕上げていた計算になる。
家に持って帰ったらちょっとした山になったものだ。

ところが、そんなに熱心に仕上げた作品も、その後浪人して美大に入る時に、
「将来自分が巨匠と呼ばれるようになったら、若い頃の絵もそこそこうまくなければ、洒落にならないだろう」と、今思えばそれこそ洒落にもならない理由で、庭で火にくべて灰にしてしまった。

結局、手許に残ったのは、気に入った2〜3枚だけなのである。
(それが巨匠の若かりし日の作品として、世間に流布する日は、残念ながらいまだおとずれていない)

調子にのって美術家を目指した私は、美術が好きなことと、美術を仕事にすることの、気の遠くなるような落差に気付かず、わかった時には、もう後戻りできなかった。

美術は自分にとって、今や生活そのものなのであるけれど、ただ、本当に楽しかったのは圧倒的に、仕事や修練でやっていた時期ではなく、単純に好きで描いていたあの頃だ。
いや、あの頃の楽しさが忘れられずに、ずるずるやっているといえるのかも知れない。

今、私が文章を書くのと似ていないでもない。
好きなことを好き勝手に書きなぐるだけならこんなに楽しいことはない。
でも、何か勘違いして、もの書きになろうなんて考えていたら、いや、そこまでいかなくとも、毎回なんか面白い文章を書いてやろう、なんて思ったら、今頃キーボードを見るたびにため息をついていただろう。
ちょっと更新をしないだけで、何か書かなくてはと勝手なプレッシャーを感じて、気が重くなる私であれば尚更である。

やっぱり自分が楽しいのが一番である。
・・・・・・・・現実逃避か?

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2004/12/26

不法侵入

さっきうちのバイクを見たら、ハンドルのところに、何やらハガキ大の紙がくくりつけてある。

要は中古のバイク引き取りますよという広告だ。
ああ、前もこういうのが結んであったっけ。

まぁそれはいいんですよ、前に結んであった時は、たしか何か月か乗らずにほったらかしていたときだし、乗らないんだったら売っちまえと思う人もいるだろうし、
こういう営業努力もありかなぁと・・・・。

でもさ、最近はバイクはうちの敷地の、わりと奥まったところに停めてあるんだよね。
どう考えても、これをつけた人はひとの家の庭に勝手に入ってきて、ガサガサやってるわけだよね。

これはあんまり気持ちよくないでしょ。

最近は、イラクの反戦ビラとか、共産党のビラをまいた人が、住居侵入で逮捕されたりしているよね。
だけど、あれは集合住宅の廊下のレベルで、居住者にとってはパブリックな空間なわけだ。

でも家の庭は違うでしょ。
べつに私は共産党シンパじゃないけれど、彼等が逮捕されるなら、こういうビラ結ぶ人はどうなのよって思ってしまう。

まぁ、共産党員に家の前うろつかれるのは、我慢ならんという人もいるだろうけど、
逮捕するならみんな捕まえてくれと、それが公平ってもんだろうといってみたりするのである。

・・・・・・・・もっともそんな世の中まっぴらごめんだけどね。

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2004/12/02

1962年生れのぼやき

嫌なニュースには事欠かない今日この頃だけれど、凶悪な事件は昔もあった。

今までと違うなと思うのは、普通に家にいると詐欺電話がかかってきたり、
どこの誰かも知らない相手から、プチ詐欺みたいなメールが、毎朝あきれるほど届いたり、
繁華街で覚醒剤を買えてしまったり、
素人が個人情報を売り買いしていたり、
素人がダフ屋のまねごとをしたり、
中学生が偽札を作ったり、
そういうことだ。

ぼうっとしてると、そういうことに巻き込まれたり、人を疑ってかかるようになったり・・・。

思い起こせばちょっと前まで、テレビだのなんだので、
偉そうに「日本人は平和ボケですから」と語るやつがたくさんいた(今でもいるけれど)

いったい平和ボケのどこが悪いのだと、私はいつも思っていたのだけれど、こうなってみると改めて問いたい。

いったい平和ボケの何が悪いのだ。
平和であるなら、人を信じていられるならば、ちょっと海外でスリにあいやすいぐらいがなんだっていうのだ。

よって立つものが足下から崩れてくるような感覚。
それがグローバルだとか、世界のスタンダードだとかいうのなら、いっそ鎖国でもしてしまえと思うよ。

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2004/11/15

アラファト

PLOのアラファト議長が死去したのだけれど。
この人は私の記憶の中では、ずっとPLOの議長だった。

この人のやってきたことが正しかったのか、一部正しかったのか、間違いの方が多かったのか、そのあたりのことはよくわからない。
ただ、この人の存在を知った頃の(中学生だよな、たぶん)わたしにとっては、いつもアラブのスカーフを頭にまいた、言葉は不謹慎だけれども、どこかお伽の世界の住人であったように思う。
 
images
↑わりと若い頃。中学生の私にはエキゾチックだった。

ちなみに、当時、イスラエル側にも独眼のダヤン将軍という人がいて(私はダヤン外相という肩書きで憶えているのだけれど、詳細は定かではない)、これが又ビジュアル的にお伽話そのものであった。
 
4504.jpg
↑ねっ、すごいでしょ。
 
どう見ても20世紀の同時代人には思えなかったわけだけれど、実はアラファトとは、戦場で命のやり取りをした宿敵なのであった。

とにかくそういう連中がドンパチやっている、アラビアのロレンスみたいな世界が、いまだに続いてるんじゃないかと、何となく、実はわりと最近まで思っていた。
もちろん、知識としては、もう少しまともなものをもっていてたけれど、遠い世界であることには、違いなかったのである。

・・・・・・・・・・・・

ここ何年か、アラブ世界、というか、イスラム世界のことが、急に日本でも取りざたされるようになった。
それとともに、お伽の世界は、にわかにテロとか、誘拐の横行する血なまぐさい世界となって、われわれの前にあらわれた。
イラクと違って、パレスチナはまだまだひと事みたいな扱いだけれど、私たちはもっともっとイスラム世界を知らなければならないのだろう。

そういえば、昔私の勤めていた学校に、イスラエルの使節ということで、二人の男女の若者がやってきたことがある。
非常に聡明そうで、自分達の建国の正統性などを説明して帰っていった。

当然のことながら、ガザの高校生が日本を訪問することはないけれど、彼等の力の及ばない部分は、こちらの努力で補うべきだろう。

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2004/11/03

ちょっとおすすめ

わたしは結構傲慢な性格なので、あんまりひとの書いたものを、無批判に奨めたりしない。
時々、これはできるだけたくさんに読ませたいなと、思う記事にあたることもあるが、実際に紹介することはめったにない。
それでもこの文章はかなりパワーがあった。

文章を書いた方のことは何もしらない。ブログの他の記事も2、3読んだだけなので、どういう流れやのなかで出てきた発言なのかもわからない。
ただこの文章に関してだけは、読んでみてもいいんじゃないかと、そう思う。

多少攻撃的で、個人的にやや鼻についたりもするけれど、書いてあることは至極真っ当、あたりまえのことだ。
あたりまえのことをいう側が小さくなっている昨今だから、ちょっと救われる思いもしたのだ。

改善案まにあ: 【帝国としての米】校内暴力事件を振り返って−チキンホークと「自己責任」論

脳天気にこれからサッカーなど見に行くのだけれど、それはそれ、これはこれ。

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2004/10/30

なんで今度の人質には・・

イラクにはまた人質がいる。
今までよりも格段に絶望的な状況である。

なのにもうあきらめているのかしらん、この無関心は?

最初に3人が捕らえられた時のあの嵐のようなバッシングはなんだったんだ?
非難するなら、今回こそ、徹底的にすればいいじゃないか。
ただの旅行者じゃたたき甲斐がないってか?

地震の方が絵になるか?
それとも人質も、死者も、もう充分頭数が揃ったから、ニュース価値がないか?

バッシングに対するバッシングがあったから様子見か?



飽きたってのはやめてくれよ。
いくら何でも人の命だよ、もっと関心持とうよ。

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2004/10/27

あまりに惨い

新潟の地震。
長岡で土砂のなかから、親子3人の内の1人だけ、2才の男の子が救出された。
母親は死亡が確認され、3才の姉はまだ車のなかだ。

昨日、車が発見された時は、誰もが絶望だと思った。
さらに今日の救出活動も、余震の影響で遅れたのだという。
家族の方の悲痛な表情をみて、いたたまれなかった。

ところがその後、生存者がいること、そして、一時は3人とも生きていると伝えられたのだ。
やがてテレビに映し出された男の子の姿。姉の心音、母親の声も聞こえたという・・。

一転して明るい展望が見えたというのに、その後の悲惨な結末。
御家族の心中はいかばかりか。

ニュース映像を見ていて涙が出そうになった。

誰の命も等しく尊いと思うけれど、本当に助けてあげたかった。
合掌

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2004/10/21

クマだクマだ

今年はクマがよく出てくるのだとか。

クマといえばその昔、新潟出身の友達が、「いや、俺の田舎なんかしょっちゅう、クマが出たから注意しろっていう、防災放送が流れてたよ」と話していましたっけ。
その時は、へぇ、地方に行くとそんなものかと思っていたんですが、どうやら彼の住んでいたのは、地方も地方、いわゆるド田舎だったらしくて、やはり日本の基準からいえば、クマというのは、そんなによく見かけるものでもないらしいのです。(まっ、当然だわな)

で、今年は何でも山のドングリが不足していて、くまさんたちは飢えているらしい。
もともと人におわれて森の奥に去ったわけで、そこで喰うものなければ、出てきても不思議じゃないわいな。

そこでかつてクマを駆逐した人間様は考えたのです。

「都会のドングリを山に送ろう」

ものすごく善意にあふれた、しかしやや底の浅いアイデアでした。

だって、ドングリが不足してるのは、台風で落ちた実を、クマより早くねずみが食べてしまうからで、ということは実だけ大量にまいても、ねずみを喜ばすだけということでしょう。
うまいこと、毎日地道にクマの食べる分だけまけたとしても、それはクマの餌付けってことじゃないですか。
だとすると助けられるクマはせいぜい数匹だろうと。

でもね、呼び掛けちゃったんだよなぁ。

そしたら、全国から山のようにドングリが届いて、さぁ大変。
集まり過ぎて、処理できず募集中止になっているそうです。
どうするんだろうね、実際。

さらには違う生態系のドングリを持ち込むことは、環境によくないという、何を今さらみたいな意見も出てきて、なんか渾沌としているようです。

だいたい食物連鎖の頂上にいる人間の数が多すぎるわけで、今さら真っ当な生態系を維持しようというのが無理な話。
人間が飼っている牛の量があまりに多いので、そのゲップで、オゾン層が破壊されるとかいう説もあるくらいで、とにかく、もうすでにめちゃくちゃなんです。
つまりは生態系の癌細胞である人間が、なんとか肉体であるところの地球を生き長らえさせようと、そういう話なんです。

これは山にドングリを送るくらいの思いつきでは解決しないんだよなぁ。
じゃどうすればいいかって? 俺に聞くなよ。

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2004/10/18

たまに難しいことを考える

ネットの記事なんかをみていると、時々、とても熱く自分の主張をしているのだけれど、読んでいてつらいというか、引いてしまう文章にあたることがある。

それは自分の考えとあうかあわないか、というのではなくて、何だってこの人はこんなに自信を持って語れるのだろうか? という、執筆者の姿勢に対する、疑問というか、嫌悪感のようなものだ。
どうも一方的に、この問題についてはこれこれが解答なのだ、どうだ文句あるかみたいな書き方をされると、ちょっと逆らってみたくなるわたしなのである。

もちろん嫌だと思う文章が、必ずしも、そんなに強い書き方をしているわけではないし、逆にしっかり言い切っていても、全然嫌悪感を抱かないものもある。
説明するのが難しいのだけれど、ただ文章のにおいというかなんというか、そういう偉そうなオーラを出している文章は確実に存在するように思う。

ものすごくいい加減な例をあげると、わたしは村上龍の文章が大嫌いで、東海林さだおの文章はとてもしっくり来るという類の話なんだけれど、わかってもらえるだろうか? (わかんないよね)

とにかく、政治のこととか、そういう熱くなりやすい問題はもちろんなのだけれど、テレビ番組の善し悪しとか、サッカーの応援のしかたとかといったレベルの内容でも、確かにこのエラそうオーラを発する文章はあって、つきあたる度に、何となくうなってしまうのだ。
いや、お前の文章はどうなのだといわれると、それはそれで困るのだけれど。

いったいこのよくわからない文章のにおいみたいなものの、根源はなんなのだろうかと、考えてみようというのが、今回の主旨なんだけれど、ちょっと難しくなりそうですね。
とりあえず今日はこのくらいで。

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2004/09/27

ユニクロは道を誤っておる

今日の朝刊にユニクロが全面広告を出していて、「ユニクロは低価格をやめます」と宣言していた。

読んでみると、ユニクロに安かろう悪かろうのイメージがついたので、低価格をやめて、「好」価格にすると、まぁそういったことがつらつら書かれている。
ぶっちゃけ、もっと高品質にして値段も上げると、直接的ではないが、そんなことを匂わせてあるのだ。

でもさ、いままでは「高品質でも低価格」が売りだったわけだから、どうも腑に落ちないものを感じるのは、わたしだけだろうか?

「今までも高品質だったけれど、もっと高品質にするから、値段を上げるよ。それでユニクロのイメージもよくなるしさ」っていうことであるならば、そこに客側のニーズは何もない。

だって安くて、普通に着るぶんには十分質がよくて、デザインがベーシックだから買っているわけでしょ?
結婚式の二次会に来ていけるようなユニクロのアイテムなんて、誰も求めてないでしょ?

まあ、いろいろ書いたけれど、
要するに貧乏なわたしとしては、安くないユニクロなんてこれっぽっちの価値もないってことだけどね。
・・・・・・ほんと困るんだよ、なんとかしてくれ。

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2004/09/24

ちょっと妄想

プロ野球の合併問題は話がついたようだ。
正直、球団側がここまで譲歩するとは思わなかった。
しかし構造的な問題である以上、今後もいろいろな面でごたごたが起きるだろう。

仙台での活動を表明したライブドアは、チーム名にベガルタを使用できるように関係者に接触しているらしい。
本来Jリーグの理念は、ひとつの競技だけではなく、クラブが複数のスポーツチームを持つことを想定しているけれども、ライブドアとベガルタに何の共通基盤もない現状では、なかなか難しいかもしれない。
その意味ではヴィッセルを運営している楽天が、神戸で野球球団を運営する方が、はるかに現実味があるのだが、当の楽天が神戸をあきらめて、仙台での競合を選んだため、この画期的な目論み(といっても外野連中の脳内でのことだが)は、夢と消えた。

ただ、チームカラー問題などを見ていると、楽天も野球的な「企業宣伝としてのスポーツ」の発想から脱していないように思う。三木谷社長は、許されるならクリムゾン神戸と名乗りたい、と願っているのではないか、と邪推するわたしなのだが・・。

要は、プロ野球の問題の多くは、巨人という唯一巨大な人気球団に、他球団が依存している構造から発している。
自分らの手で改革ができないというのであるならば、いっそ経営の成り立たない球団は大挙してプロ野球機構を抜けて、Jのクラブ傘下に入ったらどうだろう。
身の丈にあった経営だとか、プロとアマチュアの関係だとか、はるかに進んだJの理念のもとに、競技の活性化がはかれるはずだ。

巨人にどんなに人気と金があっても、対戦相手がいなければ、どうしようもない。クーデターのような形である程度の数の球団が一斉に抜ければ、できないこともないと思うけれど・・・・そんな漫画のような展開は・・無理だろうなぁ。

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2004/09/20

ゆるくておおらかな世の中のために

私の卒業した高校で、文化祭の終了後に、設置してあった校門のアーチに放火される事件があったらしい。

どこの馬鹿だかしらないけれど、そういうことをするなよな。

もう25年も前のことだから、今は違うけどしれないけれど、あれは美術部が夏のイベントとして、夏休みに作るものなんだよ、結構大変なんだぜ。
で、作り方みたいなのは、特に男子部員を中心に、先輩から後輩へ何となく受け継がれていったりして、それはそれで、伝統あるものなんだよな。

それが火なんかつけられた日には、必ず来年あたり、今年はアーチをやめましょうなんて言い出す阿呆が出てくるんだ。
気晴らしだか恨みだかしらないけれど、そんなことでぽしゃっちゃったら、悲しいんだよ、わたしが・・。

ピンとこないかもしれないけれど、学校という世界は、世間に対してとっても萎縮しているんだよ。

たとえば近頃の文化祭、昔とはぜんぜん違うわけだ。
ためしに模擬店に入ってごらん、コーヒーも紅茶も、みんな缶入りかペットボトル。
食べ物はチェーン店のドーナツや袋入りの駄菓子ばかりで、昔ながらの焼そばだのお好み焼きなんかありゃしない。
みーんな食中毒の予防処置ってやつだよね。

ちょっとアブなそうなお兄さんなんかがやってくると、暗号になってる緊急放送で先生が集合。
ぴったり背後からついてまわったりする。
暴力事件の予防処置だ。

学校によっちゃ、文化祭じたい公開しないものね。

だから校門のアーチの撤去くらいなんでもないんだから。

小さな事件、大きな事件、いろいろなことがあって、
いつの間にか学校の校門は閉めっぱなし、放課後の校庭で遊ぶこともできない。
卒業生が職員室を訪ねる時は、受付で名札をもらうありさま。

嫌な世の中なんだからさ。
もっとおおらかでいたいんだからさ。
止めろよ放火なんか。

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2004/09/18

ぼやき老人

しかしこのところ理屈の通らないことばかりだ。と、御隠居の老人みたいなことをぼやいてみる。

たとえば、野球のストが話題になっている。
最初に近鉄の売却を許可すればすんだ話だ。

皮肉なことに、私は理屈の通らない話は嫌だといって、コミッショナーは辞任の意向らしい。
まぁ、お飾りの名誉職のつもりでいたらば、いきなり責任を問われるのだから、彼のなかではきわめて理不尽な話だったのだろう。

今はマスコミもストに対して同情的だ。
けれど長引けば、こんどは選手会叩きになるのは目に見えている。
そうすると、密室での「落としどころ」なんて、よくわからない解決にはしるに違いない。
この国ではけっして理を掲げて徹底的に争うことはない。

・・・・・・・・・・・・

あるいは、存在するに決まっているといわれた、イラクの大量破壊兵器はなかった。
遅ればせながらアメリカはそのことを認めた。そんなことは今となってはどうでもいいのだというスタンスではあるが、とにかく認めた。
翻ってこの国の政府はそれを認めていない。
すったもんだの末、イラクに出ていった部隊は、かの国にとって、いてもいなくてもたいして変わらない存在らしいけれど、そのことに対する検証もなされない。

物事はなし崩しに進み、誰か決定するわけでも、責任をとわれるわけでもない。
あげくにただの公務員とか、役所の職員なんかを吊るし上げる。
予測を間違えようと、後から間違いが指摘されようと、やった者勝ちである。

・・・・・・・・・・・・

この国では理を通して行動しても、絶対認められないのだと、
正面突破では物事が解決しないのだと、繰り返しアナウンスされる。

子供に夢を持てなどというのは、理屈が通らない。

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2004/09/12

9/12に9/11を考える

あの日、たまたまケーブルテレビのCNNにチャンネルをあわせたら、ツインタワーが煙を吹いていた。
同時通訳の声が、旅客機が衝突したと伝えている。
事故なのか何なのか、いずれにせよ大変なことだと思っていたら、一瞬、画面に機影があらわれ、もうひとつの煙が上がった。

これは事故ではない。

一機目の衝突をリアルタイムで見た人は、NYのほんのひとにぎりだと思うが、
ニ機目についてはおそらく世界中の何万人が見ただろう。
彼等は一様に戦慄したに違いない。わたしと同様に・・。

これは事故ではない。

・・・・・・・・・・・・

それから3年がたった。

死に幸福な死と不幸な死があるのか、あるいは又、意味のある死とない死があるのか、本当のところはわからない。ただ今日わたしは思うのだ。

すくなくとも
彼等の死は、ある時は悲劇として、またある時は英雄譚として語られた。
彼等の死は、皆に共有された。
彼等の死は、思い出してもらえる。

だからわたしくらいは、思い出されない死や、知られない死に思いをはせよう。

彼等と同じくらいに理不尽で突然の死に見舞われた人たちは、あの日以前にも、あの日から今日にいたるまでにも、何千、何万といるのだから。

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2004/09/04

子供が撃たれている

ロシアで子供が撃たれている。
そら恐ろしい映像だった。3日間何も食べず飲まず、体育館にすしずめにされた子供らは、下着姿で一様にやつれ、話のできない者も多かった。詳細はまだ不明だけれど、死者は200人を越えたという。

今回、たまたま、ロシアという「テレビカメラで中継のできる国」で起こった事件であるために、そして、学校、子供、という、一番守るべきものを標的にした事件であるために、われわれはこの事件を知ることが出来た。

しかし彼等は、今までも劇場占拠事件など過激なテロをくり返していたにもかかわらず、極東のわれわれは、ずっと無関心だったではないか。
チェチェン問題の背景は、わたしを含めて、残念ながら日本ではまったく知られていないのだ。

この国は、停戦こそしているけれど、ロシアからの独立戦争を闘っている最中であり、一説では、100万そこそこの人口の国で、すでに20万の死者がでているともいう。
身内に戦死者のいないチェチェン人は皆無だろう。

これは戦争なのだ。

一方的に軍事力の差がある時に、押し込まれた側はテロに走る。
チェチェンと同じことは、イスラエルでもイラクでも、毎日のように起こっている。
いや、わたしの知らない国、知らない紛争のなかでも起こっているに違いない。

せめてそのことを知ろうと思う。

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2004/08/11

北朝鮮のささやかな反撃

日本国内で事実上、ただで使い放題になっていた、朝鮮中央テレビの映像について、北朝鮮が使用料の支払いを求めてきたという。

今まで北朝鮮が、国際的な著作権保護の条約であるベルヌ条約未加盟だったこと、また日本との間に国交がないこともあって、かの国のテレビや映画の映像は、日本で保護の対象とならず、よって使用料などは発生していなかったわけだが、昨年北朝鮮が同条約に加盟、今年5月には一分間につき500ドル程度の支払いを求めてきた。

・・・・・・・・・・・・

詳しいことは専門家ではないのでわかりませんが、(例えばアメリカはこのベルヌ条約には入っていないらしいとか、いろいろあるみたいだ) こいつは払うしかないんじゃないのかねぇ。
法律の解釈云々ではなくて、信義の問題として、こういうところはしっかりしとかないとね。

ていうか、たいした額じゃないんだから払いなさい。
偉そうなことをいえないけれど、知的生産物に対して、対価を払うのは当たり前。
たとえ相手が北朝鮮でも、いや、北朝鮮だからこそ。

これで他人のふんどしで相撲をとるみたいな、つまらない北朝鮮報道が減れば、私としてはうれしいかぎりですよ。
今後の対応に注目です。
まさか無視はしないと思うけど、何しろ日本は「民度」の高い国なのだから。

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2004/08/09

県知事にエールを送る

埼玉県知事が、県内のJR料金を下げるように直談判に出たらしい。

いいことだよ。この間の知事選じゃ君に一票入れたんだから、大いにがんばってほしいものです。
これでJRがどうでるか、ちょっと興味深いですねぇ。
国政と違って、県政ってのはあまり目に見えることが少ないから、埼玉県民としては大いに注目です。

ところでなんだって埼玉県内の料金が、神奈川あたりと比べて割高かというと、
詳細はあなたのまわりの鉄道研究同好会の出身者に聞いてもらうとして、要するに利用者が多い特定区間の割引率の違いらしい。(あ−、聞きかじりだから、間違ってたらごめんね)

現状では、埼玉の利用者が少ないということはなく、むしろ多いくらいらしいけれど、
決めた当時のままずーっと変わらずに来ているということなのね。

埼玉県としては、毎年申し入れはしていたらしいけれど、JRは次回の料金改定の折に見直しますといい続けて、なしのつぶてとのこと。
で、しびれをきらして、知事の出馬と。

というわけで、上田君(←知事ね) やっちまってちようだい。料金下がったら、次回も入れるからさぁ。

しかし、こういう話が出るのも、県内の乗降客が増えればこそですよね。ようやく埼玉県も、隅の方まで開けて来たってことでしょうか。
思い起こせば、20年とちょっと前、大学に入学の直後、「なんだよお前、埼玉かよ」とさんざんバカにされたこと、わたしは忘れてはおりません。(何が悔しいって、馬鹿にした相手が鳥取出身だったことだけれど)

ダサイタマだの、ど田舎だのと、おとしめられ続けた埼玉県民。
その怨念背負って、戦え上田!!


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2004/08/08

みっともないからやめなさい

最初は冷静だったと思うんだ。
でもインパクトのある話だし、ネットで話題にはなっていたよね。

知らぬ存ぜぬを決め込んだマスコミも、それを見て横一線で報じはじめた。
いったんいけるとなると遠慮ないからね、見る間にトップニュースだよ。

与党だの野党だのからも一言いう人があらわれて
それにあおられて、ネットではネコも杓子も書きはじめる。

そしたらさ、調子に乗るやつも出てきて
あっという間に子供の喧嘩だね。

石原某のまねをして、俺は「支那」と呼ぶなんて宣言している人。
どうせにわか新保守の若い人だと思ってプロフィールみたら、55だとさ。
やめなよ、大人なんだからさ。

反日を半日と書いて、気付いていないお兄ちゃん。
あえて書くけど「ちゃんころ」なんて言葉、
今どき使う人間がいたなんて、驚きだよ。一体誰に教わったのさ?

お前ら、あわよくば、もっとなんか騒動になればいいと思ってただろう。
そうしたらこころおきなく、罵詈雑言が書けるものね。

・・・・・・・・・・・・

殴られたら殴り返せみたいなことをいう人間を、私は絶対信用しない。
性悪説をいう奴らも嫌いだ。
人間は、他人を信じること、すなわち自分の安全を他人にゆだねることで、少しずつ今の世界を築いたんじゃないのかい?
そのためには、理性とか、抑制とか、他者への理解とか、そういうものをもつべきでしょう。
だったら、もう少しとるべき態度があるって話だよ。

その時々の元気のいい陣営にくっついて、威勢のいい言説を垂れ流す輩は、自分の言葉が引き起こす結果についてもう少し考えるべきだ。

一応世界中の誰でも読めるんだしさ。

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2004/08/03

加古川の事件

当事者でもないし、ニュースを聞くだけだから、あまり深いことは言えないのだけれど、
加古川の7人殺害事件で、実は事前に近隣住民が、犯人のことを警察に相談をしていたのだけれど・・・という話が出ている。

うーん、今後あちこちから、もっと警察が動いていればとか、奴らはさぼっていたのだろうとかいう、意見というか、コメントというか、いろいろ湧き出てくるだろうなぁ。
故意かミスなのか、当初、警察が相談のあったことを否定していた、なんていうのも、いかにもありがちで、今後の展開が目に見えるようだ。

で、実際警察が事前に何をしたのか、しなかったのかわからないけれど、
当の近隣住民は、後で何をされるかわからないので、本人とは接触しないでほしいといっていた、なんて事情もあるようだ。

さて、そこで素朴な疑問なんだけれども、
こういう場合、警察にはどんな手が打てるのだろう?

パトロールを強化するぐらいでは、解決にはならないだろうし、かといって何もしないものを拘束はできない。
精神疾患があれば、第三者による強制入院というのもあり得るけど、そんなことを警察が手軽にできるようじゃ逆に大問題だ。

とりあえず、誰かに被害届を出してもらって、24時間体制でこの男を監視して、何かやったら即逮捕。
それ以外、今回の惨劇を防ぐ手立てはないように思えるのだけれど、そんなことできるのだろうか?
逮捕したって、微罪だったらその後すぐ解放されるわけだし、空き交番が問題になっている時に、監視体制など組めるはずもない。

不可能だよね・・・・・。
今回は、埼玉のストーカー殺人の時のように、警察の無為を責めるには、ちと無理がありそうな、そんな気もする。

危ない隣人からは、引っ越してでも逃げるしかないのかねぇ?

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2004/08/01

重慶問題ここは3回読んでおけ

あのですねぇ、ここのブログいつもはせいぜい1日50〜60アクセスなんですね。
それがこの間から300アクセスですよ。なんだと思っちゃいますよね。

で、ほとんどの方がこの記事を見に来るわけで、やっぱり自分が嫌われてるって話には、敏感なんだね。
アクセス解析には、反日、サッカー、重慶の文字が踊る踊る・・・。

これは自分としても、もう少ししっかり考えてみるかということで、いくつか他の人の書いた記事を見てまわったのですが、まぁおおむね冷静です。
そりゃ、相手にあわせて反中国運動をやれっていっちゃったら(そういう文章もあったけれど)、目くそ鼻くそですものね。

その中で、知らなかった事実というか、新鮮な切り口を見せてくれたのがこちら
やっぱり時代を生きた人の発言には重みがあるわなぁ。ちょっと感動。(若干、事実誤認があるそうで、それについてはこの記事のトラックバックに指摘があります)

さらに、それと知っていながら、気がつかなかったことに思いいたらせてくれたのがこちらの記事
野暮だとは思うけどバボちゃんの出てくるあの競技のことだよ。
確かに、我が身を顧みないとね、とくに人を批判する時は・・。

どうしようもない罵詈雑言にあたることもあるけれど、こういう文章に出会えるのがネットのいいところだと思いましたよ、というわけで、ぜひ読んでみて下さい。

PS:ここは本来、美術造形のサイトです。本当なんだから・・・。

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2004/07/30

私的国語審議会

今朝の新聞によると、文化庁の国語に関する世論調査というのがあるそうです。

で、そのなかで誤用の多い言葉の例として、いくつかあげられているのだけれど、すいませんわたしも間違ってました。

姑息は「卑怯なこと」ではなくて「一時しのぎ」、雨模様は「降ったり止んだり」ではなく「降りそうな様子」のことだったんですね。
なるほど、さすがに国民の半数以上が間違えるだけあります。いや、多数派で安心しているわけじゃないんですけどね。

檄を飛ばすは「刺激を与えて活気付ける事」ではないのは知っていたぞと、ちょっと言い訳してみたり・・。

一昔前だと、こういう記事に対する偉い人たちのコメントは、「日本語が乱れている、けしからん」だったのですが、この頃は「言葉というものは変化していくものなのです」という具合にトーンダウンして、ずいぶんものわかりが良くなってきているようです。
それに個人的には、言葉の乱れなどを指摘すると、それはもう老人のカテゴリーに足を踏み入れたことになるのではないかという、不安も感じておりまして、この類いの話題には、何となく及び腰になるのです。

よく、掲示板で「的を得た」という誤用を見つけるとそれは「的を射た」であると、鬼の首をとったように指摘するやつがいるけど、なんだかエラそうで、嫌いだしなぁ。

・・・・・・・・・・・・

でもそんなわたしでも、ひとつだけどうしても許せない日本語の誤用があるのです。

それが、今やどんな店にいっても聞かされる、「○○円からお預かりいたします」ってやつですね。

預かるという言葉に領収するという意味はありません。(広辞苑まで引いて確かめたんだから強気だよ)
あれはおつりをわたすまで、料金以上の金額を文字どおり預かるという意味ですから、「から」が入るのはおかしいのです。

したがって「1000円お預かりいたします」「500円のお返しです」が正しい。
どうしても「から」が使いたいのであれば、
「1000円からいただきます」というべきです。

ぴったり払って「ちょうどお預かりします」もおかしい。お前は銀行かっ、てなもんです。

実家が商店やっていた関係で、こればかりはどうしても慣れないんですよ。
どうもどこぞのファーストフードチェーンがマニュアル化したものが、広まったらしいけれど、これは絶対いけません。
なんでこれだけといわれても、ダメなものはダメ。

と、鼻息を荒くして、今日はいいっぱなしでおしまい。

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2004/07/25

サッカー場の反日感情

昨日のサッカーアジアカップを見ていて、中国の観客のあまりの反日感情の強さに、面喰らった。
もちろん、東アジアで、日本のウケのいい国などあまりないし、重慶という土地柄も、歴史的に親日ではあり得ないなとは知っていたけれど、国家斉唱に対してブーイングするというのは、そうとうなものだ。
聞くところによると、会場でもっと過激な示威行動を計画する向きもあったようだ。中国政府は国内向けの中継を中止しているというから、決して普通の出来事ではないのだろう。
FAIRNESS: 国民の高揚こちらの記事が、そのあたりを冷静に分析しておられるようだ。

サッカーでいうならば、韓国でも、先のU23の親善試合で、領土問題についてのプラカードが出されたりして、似たり寄ったりの状況があるようだが、
当面危惧される問題は、これら中国、韓国の素朴な国民感情に発する、まぁ有り体にいって、大人気ない行為に体して、われわれがどう対応するかということだろう。

最近の日本には、相手と同じレベルに降りて、非難合戦などということも、やりかねない現状があるわけで、その点はっきりと、自分達は大人の行動をとるのだと主張する意見は、もっと出てきてもいい。

もちろん事の前提には、それぞれの歴史観なり、国家の利害はあるのだけれども、その是非をいっていても、何の解決にもならない。
例えば、北朝鮮相手の試合に、向こうに100パーセントの非があるからといって、拉致問題のプラカードを出すのが、大人の行為かといえば、そうではないだろう。

さらにいうならば、昨日の試合はNHKとテレビ朝日が中継したのだけれども、どちらの局も、このブーイングを、中国の判官びいきということで、言葉は悪いが、隠蔽してしまっている。
このような、あからさまに事実にふたをするような行為は、かえって冷静な議論をさまたげ、結局はネット上などの、反中国感情をあおることにつながるだけであって、なにもいいことはない。

彼の国の人たちは、決して充分な事実を知らされているとは思わないし、ある意味そこから反日感情が湧いて出る側面もあるのだけれども、日本にしたところで、同じことをしていたらば、そこに歪んだナショナリズムが顔を出す可能性は大きいと思う。

ある意味、日本国民の成熟度がためされる出来事なのかもしれない。

(追記・7/26)
日本対タイ戦の中国国内向け放送は、実際には中止ではなく、30分遅れの放送だったらしい。何かまずい事態が映ったら、その30分でカットするやり方で、実は先の韓国戦で日本も行っていたことであるようだ。(この時は秒単位の遅れだが)
そういう意味では中国の情報操作を、われわれが云々言えないようである。
(追記・8/1)
川口に神が降りて、なんとか決勝トーナメント1回戦を突破。
さて多くの方がこの記事を見にきていただいていますが、ぜひこちらも読んでみて下さい。

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2004/07/22

新潮が叩くもの

買って読んでいないから記事の中身まで解らないが、今日の週刊新潮の見出しは曽我、ジェンキンス叩きのようだ。

2004年7月29日号

新潮という雑誌は何か叩いていないと不安なのだろうか?
別に、拉致被害者を無条件で持ち上げる気はさらさらないし、記事の内容も、おそらくは見出しのインパクトの十分の一くらいのものなんだろうけれど、売るためには何でもしますって姿勢は、なんとも不愉快。

ジェンキンス氏の扱いや、政府の対応に問題があるのなら、正面切って書けばいいのであって、被害者を下らぬゴシップのスケープゴートにすることはないだろう。

立花隆が何といおうと、そんなことだから出版を差し止められるんだと思ってしまう。

人間、批判しやすいところには、いくらでも文句を言えるのだ。
政治家、公務員、銀行に三菱自工・・・しばしば批判のための批判でしかない、言いがかりのような言説もまかりとおる。

そのなかでマスコミは、唯一批判されない権力であることを自覚して、自らを律しなさいと、不肖このわたくしが批判してみるのである。

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2004/07/20

中絶した胎児は死体なのか

われながら、嫌なタイトルだ。
横浜の産婦人科医院が、中絶した胎児を一般ゴミとして捨てていた疑いで、捜索を受けたという。

何ということを、というのが各報道の論調。
何ということを、とわたしも思う。

しかし、法的には12週を過ぎた胎児については、埋葬せよとの規定があるだけらしい。
12週未満の胎児については、どうも、切りとった盲腸とかと同様の扱いになるようで(この点確信はありません、間違っていたら指摘して下さい)、そういう規定じたいがない。つまり、(法的には)それは死体ではない。

だから今回の捜索も、11週以前であるならば「一般ゴミ」というのが問題らしくて、「医療廃棄物」として処理していれば、おとがめはないということだ。
12週になると、体がひととおり形づくられて、どうもそのあたりから、人間として扱われるということなのだろう。

みんな顔をしかめて、生命というものへの畏敬の念などを語るのだけれど、いったい人間というのはいつから人間なのだろう。そのことに言及する報道はない。
受精卵と、12週の胎児はずいぶんと違いがあるけれど、では11週と12週ではどうなのか?
12週以降の堕胎は殺人にはならないのか?
11週以前はどうなのか?

中絶そのものを否定する気はないし、ましてやこの病院を擁護しようとは思わないのだけれども、筋を通して考えるならば、それなら胎児は親が引き取って、供養しなさいということになりはしないか。
道義的なことで、病院を責めるならば、当然胎児の処理を病院に委ねた側の責任もあろう。

普段見えないところには、私たちが、考えることを避けている問題がたくさんある。
時々、何かをきっかけにそれが表に出てくると、うろたえてしまう。

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2004/07/19

拉致事件報道

ここのところマスコミは、ず−っとジェンキンスさんである。
マルボロがマイルドセブンになったの、チャータ−機の中でチョコレートケーキを食べただの、十回も二十回も聞かされて、はっきりいって辟易している。

地村さん、蓮池さんの、お子さんの時もそうだったけれど、もう少し静かにしておけないものだろうか。
やれバッチをはずしたからどうだとか、犬を連れてこない意味はこうだとか、そんなことにどれほど事の本質があるのか、わたしにはちっとも解らない。
例えは悪いが、近所の家の不幸を肴に、うわさ話をするのを聞かされているようで、じつに気分が悪いのである。

少し黙って、事の成り行きを見つめるということが、よほど被害者のためになると思うのだけれども、そういう大人の対応は、望むべくもないのだろうか。

そもそも、この国のマスコミにはひとつのパターンがある。

大きなことが起きると、何をおいても飛びつき、根掘り葉掘りつつきまわす。
繰り返し飽きるほど映像を流して、事件の被害者すらも、タレントのように消費する。
そして、話題性がなくなるや、何のフォローもしなくなり、あっという間に忘れ去ってしまう。

小泉人気が出れば、小泉! 
韓国ドラマがヒットすれば、ヨン様!
拉致が明らかになれば、北朝鮮! というわけだ。

もちろん、悪いのは北朝鮮である。
だからといって毎週毎週、タダで録画した北朝鮮のテレビを垂れ流して、あの国はこんなに異常ですというコーナーや、ビンだの歯磨き粉だのをならべた北朝鮮グッズの紹介コーナー、北朝鮮のすべてにおいて、裏事情を解説する、どこかの大学教授の話なんかは、もうたくさんだ。

そういったバラエティー的な報道姿勢から、何も生じないであろうことは、誰の目にも明らかだし、むしろ事の矮小化という意味で、悪い結果を招きかねない。

せめて、歴史だの国家だのに翻弄された人たちを、そっとしておいてあげられないものか。切にそう願うのである。

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2004/07/14

「東京湾景」

この間から「東京湾景」というドラマが放送されている。

ウチの場合、テレビドラマの類いは、いわゆる改編期に、嫁さんが一通りチェックをすることになっている。
彼女は、そのなかで気に入ったものを見るわけだが、わたしは、さらにその三分の一くらいしか見ない。
つまるところほとんど見ない時期も多い。

で、この「東京湾景」も、初回を嫁さんと見て、そのあまりの節操のなさに、ニ度目はないと思っていた。

節操がないと書いたのは、
もともと日本人の恋愛物語である原作を、昨今の韓流ドラマのヒットにのっかって、主人公を在日韓国人に変えたばかりか、主題歌は韓国語、タイトルバックはハングル、出てくる韓国人男性役には、ヨン様ヘアーにヨン様メガネと、至れり尽せり、あんまりにもあんまりの演出だったからで、これでは内容を云々する以前にしらけてしまうと思ったからだ。

ところが、ネットの記事を読み歩いているうちに、このドラマのプロデューサーがかつて「ドク」というドラマを手掛けていたことを知り、ちょっと待てよという気になった。
何でそう思ったかは後述するが、自分なりに調べてみると、

以下YAHOO!ムービーより

 フジテレビ系で5日スタートするドラマ「東京湾景〜Destiny of Love〜」(月曜午後9時)。民放の連続ドラマで初めて、在日韓国人女性を主人公にすえるなど、従来の恋愛ドラマの枠を破る作品だ。仕掛けるのは、「ピュア」「ドク」などのヒット作を手がけた栗原美和子プロデューサー(39)。今回は、自身がノーギャラで全11話の脚本を書くなど、意欲十分。早くもヒットの手応え⋯。
 ドラマは芥川賞作家、吉田修一氏の小説が原作。小説の登場人物は日本人だが、ドラマ化にあたり、在日韓国人にしたのは栗原さんのアイデア。
 「ヒロインは25歳なんですが、実は私もそのころに、在日韓国人の男性と恋愛していたんです。彼は結婚するなら同じ在日韓国人と、という人でした。私の恋はそこで終わったんです」
 栗原さんがドラマを企画する際に重視するのは「自分の実生活に基づいたこと」という。「常日ごろ、張っているアンテナに、必ず自分の体験を重ねて考えます。あの体験がずっと頭の中にあり、いつかはドラマに⋯と考えていました」。
 小説や映画で「在日」をテーマにした作品は少なくないが、連続ドラマでは今までだれも手をつけなかった領域だ。その意味で企画の実現までに時間がかかったのでは?
 「サッカーW杯以来、日本と韓国はものすごく親しい関係になったでしょう。昨秋、企画を提案し、トップからゴーサインが出るまで、社内的にもスムーズに運びました。ただ、地上波のテレビである以上、誰かが傷つくようになってはいけない。関係者へのリサーチを入念にやり、例えば在日韓国人はパスポートの色から日本人とは違う、みたいな事実をキチンと描いていきます」
 (後略)

ということらしい。
他のところで読んだ記事によると、この栗原さんというプロデューサー、脚本のプロットにまで口を出すことで有名らしいけど、今回はプロデュースどころか、脚本も自分で書いているわけだ。

それにしても、なぜ自分が在日韓国人に振られたからといって、原作の改ざんが許されるのかちっとも解らないが、とにかくやり手ではあるらしい。

さて、実は私はこのプロデューサーの感性にいささか疑問をもっている。

それが先ほどの「ドク」の話だ。

実はこの「ドク」も私は見ていない。香取慎吾演じるベトナム人男性と、日本人女性の恋愛の話だったらしい。
しかもずいぶん昔のドラマだ。
ただ、わたしが憶えていたのは、このドラマのキャッチコピーが、あまりにひどかったからなのだ。

「人種をこえた愛」

国家や民族ではない人種である。このキャッチコピーを考えた人間は(栗原さんではないかもしれない、しかし彼女がゴーを出したことは間違いない)、ベトナム人は、日本人と違った、そしておそらくは劣った人種だといっているのだ。

それは例えば日本人と西洋人の恋愛には、絶対にこんなコピーが使われないことからも、容易に解るわけだが、意識的にしろ、無意識にしろそこにはあからさまな悪意が存在すると、私は感じている。

しかも、学問的にもとっくにお蔵入りしている人種などという概念。
はっきりいって、ナチスの優生思想と変わらんではないか。

このコピー、さすがに抗議がきたのだろう、すぐに消えてなくなったけれど、とにもかくにも、彼女はそういう過ちを犯した人間であるわけで、それが在日韓国人社会という、日本の差別問題の代表例みたいなものに手を出して、大丈夫なんだろうか? そう思ったわけなのである。

それも自分の恋愛経験などとかさねて・・・・。

案の上の記事でも、パスポートの色がどうこういっているけれど、小学生ではあるまいし、在日でも韓国人なのだから、当たり前だと思うのだが、彼女にとってそんなことが新鮮な驚きなのだろうか。

せめて彼女が、「ドク」での経験に学んでいてくれることを切に願うのである。

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2004/07/06

1990年7月6日

今日は1990年に、神戸で、校門圧死事件の起こった日なのだという。

日々いろんな出来事が起こるけれど、この事件は、当時自分も教員だったということもあり、かなり印象に残る出来事であった。
校門を閉めたのは、要するに遅刻対策で、遅刻した生徒に罰則を与えるために、時間で校門を閉じて、氏名を確認していたわけだ。

教室で確認すればいいのではないかと思うわけだが、おそらく罰則が絡むために、厳格なチェックをしたのだろう。
生徒は、不公平というものをひどくきらうので、その辺の感覚は理解できなくもなかった。
同時に、おそらくチャイムの鳴り終わる前に校内に入ろうと、生徒が殺到する様子が目に浮かんだものだ。

事件は閉まりかかった校門に生徒がはさまれて、圧死したというものだった。

学校がひどく不注意であったことはいうまでもない。
ただ、当時いわれたのは、そんなことよりも、校門を閉めてしまうということの是非であった。
生徒管理がひどく叩かれ、学校の閉鎖性がいわれた。
事故ではなく殺人だという論調だった。

当時私の勤めていた学校では、そのような方法はとっていなかったけれど、それはどこかであきらめていたからで、本当に遅刻をなくそうとしたら、手段はどんどんエスカレートしただろうことは想像に難くない。
どこかで状況が違ったら、自分だって当事者になりかねない、それは教員の共通の思いであったはずだ。

たかが遅刻だ。けれどそれに取り組んでいる教員達は、当時、何とも言葉にならない思いを抱いたのである。

15年近くがたち、今は安全上の理由で、校門を開けていることが責められる時代になった。
15年後はどうなっているのだろうか?

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2004/06/30

国立国語研究所にがんばってもらう

ひさしぶりに社会ネタ。

「国立国語研究所が、(ということは数学研究所や哲学研究所もあるのだろうか? 理化学研究所は埼玉にありますね)外来語の言い換え案を発表」という記事が今朝の朝刊にのっておりました。

なんかこの手の話題は時々思い出したように出てきます。

わたしの場合、どちらかといえば、もとの外来語の意味がわからないことが多くて、言い換えの方を見て、おおそういう意味なのね、と思うことが多いのですね、恥ずかしながら。

今回も、
「ソリューション」って良く聞くけど、そうか問題解決ってことだったのかぁ、なんて、なかなか勉強になります。

それにしても、「カウンターパート」だの「デジタルデバイド」なんて言葉を日常的に使っている人種ってのは、どんな連中なんだろうね。あんまり友達にはなりたくないですね。

で、こういう話題には必ず、無理して言い換える必要はないという、ごくごく真っ当な反対意見もでてくるわけです。

不要な言葉は必ず淘汰されるし、みんなが使えばいいかえなくても定着するというわけですね。

まったくもってその通りなのです。
ただ、今回はあえて国語研究所にエールを送りたい。(いったい俺は何様だろう)

というのは、こんな話をなんかで読んだことがあるからです。

モンゴルには「鉛筆」にあたる言葉がないというのですよ。
それはつまり、モンゴルに初めて鉛筆が入ってきた時に、新しい言葉を作らなかったからだと。
要するに、鉛筆はロシアから輸入されたわけなんですが、彼等はそれをそのままロシア語で呼んだわけですよ。

ちょうどわれわれがコンピューターをコンピューターとしか呼べないのと一緒ですね。

で、一事が万事で、それまでモンゴルになかった物、なかった概念、みんなロシア語なのだとそういうのですよ。

これはちょっと悲しいと思うわけです。
さいわいなことに日本には、明治期に、鉛筆だの切手だの自由だの責任だの、そういう言葉を一生懸命つくった人間がいるわけで、だから、「ちょっとそこのペンシルとって」とか「近頃の若いやつらはフリーダムの意味を履き違えておる」なんて、言わなくてすむのです。

こういう姿勢というのはけっこう大切だと思うのです。
言葉というのはまさに、文化の根本なわけで、とりあえず無条件で取り入れないで、ちょっと日本語にする努力はしてみろよと、まぁそういうことですね。

たとえば、さっきのコンピューターにしたって、その気になればきっとおさまりのいい日本語を作れたのではないでしょうか。現に中国で電脳という言葉を生んだようにね。

そういうところに、このグローバル化が進む社会での、アイデンティティーがあるのだよ(あれ?)


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2004/06/17

罰ゲーム

トランプでいえば「大貧民」や「ナポレオン」、それ以外だと「あっち向いてホイ」とか「山手線ゲーム」。
学校というところでは、時々そういう遊びが突発的に流行るものだ。ちょうどはしかのように。

負けた者に罰ゲームをやらせるっていうのもよくあった。
「バトン部に入部させて下さいっ」と叫んで、「ついでにバトンをまわしてくる」いうお題を、嬉々としてこなしてた奴がいたっけ。

わたしにとってそれは、悪い思い出ではない。
でも、まぁそれで虐められちゃうと辛いだろうなぁ。
確かに。

隣の街で、そんな罰ゲ−ムを苦に自殺した女の子がいた。

報道された中学校名はよく知ったところで、高校の教師をしていた時にはそこからきた生徒もたくさん教えた。
別にその子にかかわりがあるわけではないけれど、なんだか重たい気持ちだ。

ことのしばらく前から、虐められるポジションに落ちてしまったその子は、
自分の負けが決まってから、罰ゲームの内容を決められ、男子に好きだということを強要されたのだという。
自殺したその日も、学校で罰ゲームの続きをさせられることになっていたのだとか。

なんだか、そのディテールが嫌だ。何というか、そこら中にありそうな話で、とても嫌だ。

その子は辛かったし、逃げ場がなかったのだろう。それはわかる。
ネットで悪口をいわれたとか、同級生に何十万も脅し取られたという話よりは、ずっとリアルにわかる。

だから死ぬなよ。
飛び下りって痛いぜ。
いじめた奴らだって、その時は白い目で見られるんだろうけど、最終的にはのうのうと生きていたりするんだぜ。
一番辛いのは、いじめた本人でも、その親でもなくて、君の親なんだよ。

死ぬなよぉ。「そんなこと」で。
なんか切ないじゃないか。

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2004/06/08

皇太子という人生

昔、某デパートのエレベーターの中で、全然見ず知らずのおばさんから、大声で「あなた浩宮様に似てるわねぇ、本物かと思ったわ」などとひどく感心されたことがある。
そんな、寒くて、かなしい過去があるせいで、それ以来彼のことは、なんとなく気にはなる。

断っておくが、わたしは別に皇室をおちょくろうという気はない、ただ過剰にうやまう気もないので、そういうスタンスが気にくわない人は読まないでほしい。

日本にもいろいろタブーがあるけれども、皇室はその最たるものだろう。

あれだけテレビでさわいでいても、今回のごたごたを正面きって記事にするブロガ−が、驚くほど少ないのもそのせいだろうと思う。

でももう少しみんな話題にしたらどうかなぁ。

・・・・・・・・・・・・

皇太子は、私にとって同年代の一人の男性である。

昔は、皇室なんて税金で贅沢して、などと思っていた時期もあるのだけれど、友人のふと漏らした、「あの人達は、いわば天然記念物みたいなもの」という一言に、妙に納得して以来、きっとずいぶんと不自由もあるのだろうなと、思いいたった。

自分で自分の人生を選べない、その圧倒的な辛さのなかで、彼は何とか自分の意志を主張しようとしてきたのだと、私には感じる。

結婚自体がそうだった。
とっくにリストから外れていた女性を、彼はあきらめず、周囲を押し切った。
それは彼の思いであって、彼女の思いについては定かではないけれども、それでも彼は意志を示した。

そこにいたるまで彼の感じたプレッシャーは、われわれの想像を絶するものがあったのではないか? 彼はおそらく、自分を主張するという行為自体を教えられずに育ったのだろうから。

そして今回の出来事だ。
普通に生きている人であれば
問題があれば当事者にいうべきであること、
今日発表された「真意」なるものも、何の説明にもなっていないこと、
そもそも、心を病んでしまうような環境に、妻を誘ったのは彼自身であること、
そういうことを責められても仕方ないのだろうけれど、どうやら彼の生きる世界、生きてきた人生は、違う基準の中にある。

その中で彼は、何とか妻を守ろうとしている。私にはそう思える。

・ ・・・・・・・・・・・

だからもっと話題にしてあげようよ。北欧の王室のように、国王が普通のカフェでコーヒーを飲む時代が、そう簡単に来るとは思えないけれど、明治の最初の頃は、天皇だって普通に元老達と同じ食卓で食事をしていたのだ。
歴史を考えれば、ここ100年ばかりが、異常なのだ。

わたしは彼と言葉をかわすことなど一生ないだろうけれど、彼のことは同年代のひとりの男性なのだと、ずっと認識しておきたいと思っている。

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2004/06/04

さらに考える

さて、佐世保の事件で思ったのは、というか、あちこちのページを読み歩いていて考えたのだが、
はたして、子供は本気で人を殺す気になるのだろうかということだ。

もちろん、実際手を下してしまった子がいるのだから、その意味では答えはイエスなのだろう。
ただどうもしっくりこないものが残るのだ。

引っ掛かったのは、「わたしも子供の頃そうなったのかもしれない」という文章を複数読んだことによる。
どこかで、何かが違ったら、加害者は自分であったのかもしれないというのだ。

でも、本当に「本気」で殺そうと思ったのだろうか?

子供の頃のいじめが、いざとなったら相手を殺してやると覚悟したことで止まった、という文章もあった。

そんな「本気な」子供がいるものか?

よく新聞のアンケートなどで、子供に「死にたいと思ったことがありますか」なんていうのがあって、何%がそう思っているから云々などという記事になるのだけれど、いつも違和感がある。
あれに「本気で」と付け加えたら、結果は半分以下になるんじゃないか、さらに「そのための具体的な計画をしましたか」等と聞いたら、数字はずっと低くなるのではあるまいかと、常々感じているのだが、
これは楽観的に過ぎるのだろうか?

わたしは「本気で」死のうと思ったことも、ましてや他人を殺そうと思ったこともない。
それは幸せなことなのだろうけど、特殊なことなのだろうか?

自慢することではないけれど、学生時代のある時期、いわゆるいじめといわれる状況にさらされたこともあって、正直、それが今の人生に少しは影響をおよぼしていると思うわけなんだけれども、
くりかえすけど、そんなことの渦中でも、一度たりとも死にたい、殺したいと「本気で」考えたことがない。

例えそれが、どんなに詳細なものであったにしても、想像することと、実際に行動を起こすことの間にはとてつもなく高い壁があると、わたしは信じてきた。
そして、どうもその壁が、低くなってきていることに、つまり「本気」でもないのに、行動できてしまうことに、問題を感じていたのだけれども、それは思い込みなのか?

みんな「本気」で考えて、それに理性でブレーキをかけていたのか?
どうにもわからない。

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2004/06/03

嫌な事件・もう一度

佐世保の事件についてまた書く。
昨日書いたことに反して、世の中はまたまたいつもの犯人探しに戻ってしまった。
今回の悪者はチャットだそうだ。
ある年代から上の人々には、新しくて、得体のしれないものだから、元凶にするにはうってつけである。
マスコミは、チャットという単語が出てきた瞬間に、これだっと、すごい勢いでくらいついてしまった・・・残念ながら。

こういう短絡的な発想はよろしくない。

確かにわたしだって、上の一行を書く時に「こんな短絡的な発想だから、この国のマスコミは腐っている」とか「まったくどこまで馬鹿なのだ」などと、書きたい欲求にかられるのだから、直接相手の見えないところでの発言というのは、充分気をつけなければいけない。
ましてや、小学生ならささいなことで、ずいぶん傷付いたり傷つけたりすることもあるのだろう。

不覚にも最近気づいたのだけれど、掲示板などで厨房(中坊・幼稚な書き込みをすると、中学生だろうという意味でこう呼ばれる)とののしられるもののなかには、じっさい相当数の小学生が混じっているに違いないのだから。

だからといって、これが今回の事件の本質ではない。

もし、相手がネット上だけの知らない相手で、それに対して、何らかの方法で危害を加えたというのならば(じっさい大人社会ではたびたびあることだけれど) 話はわかる。

けれども、彼女は相手と同じクラスにいて、直接に言葉をかわしているのだ。
これはいわゆる子供のケンカではないか?
そして、子供のケンカが殺人になってしまうことが、問題なのではないか?

子供にネチケットを教えろとか(それも必要だけどね)、そういう対症療法みたいなところに落ち着くのは、問題の先送りというものだ。

まだまだ嫌な気持ちは続く。

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2004/06/02

嫌な事件

佐世保で女の子が同級生を刺した。

あまり少年犯罪が続いたので、ようやく世の中も、「心の闇」とか、「命の大切さ」の教育とか、そういうキーワードでは、いっこうことの解決にも、解明にもいたらないことがわかってきたようだ。
今回の報道をみていても、あいかわらず犯人探しをしているけれど、マスコミ自身の戸惑いが、いつになく強く伝わってくる。

実際、こんな事件が起きた時の常套句である「誰かサインに気づかなかったのか」や「現実に対するリアリティーの欠如」などという台詞もあまり聞かれない。

男子の起こす事件にありがちな性的な背景がないこと。
学校は小規模校で、通常よりも周囲の目は行き届いていただろうと思われること。
長崎県では昨年痛ましい事件があってから、いわゆる心の教育には力を入れていたこと。
思いつきそうな理由は、みんな否定される。
チャット云々についてのいざこざがあったとしても、いじめのようなものではなかっただろうし、
登校拒否とか問題行動とかの背景も出てこない。
本当の意味で「普通の子」が起こしたらしい事件は、適当なキャッチフレーズを与えて、思考停止する今までのやり方を許さないのだ。

われわれはそろそろ気づくべきではなかろうか?
子供は大人とは違うけれど、大人の投影ではあるということに。

もちろん物事の背景は単純ではなく、ひとつひとつに固有の事情がある。だからわかりやすい答えなどない。
けれども、こうして嫌な事件が多発するのは、子供の属する社会、つまりはわれわれ自身が属するこの社会が、不健全で歪んでいるということだろう。

少数の、事件を起こす子供の後ろに、恐ろしい数の歪んだ大人がいる。
あるいは、ひとり一人の大人が、少しずつ歪みはじめている。
突き詰めればそういうことなのだと思う。

われわれは真剣に日々の生き方を考えなくてはならない。

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2004/05/28

今日の・・・

今日はカンニングの疑いをかけられて、飛び下り自殺した少年がいた。
当事者じゃないから、ニュース以上のことはわからない。
ただわかるのは、問いつめた教師は彼が死ぬなんて思っていなかったことだ。
それを想像力の欠如と呼ぶのか、あるいは単に常人の想像を越えた出来事が起きたのか、やはりわたしにはわからない。

今日はイラクで銃撃されて死んだ、ジャーナリストがいた。
日本に住んでいるから、ことの真相なんかわからない。
ただわかるのは、彼等は自己責任論で責められることはないということだ。
死んでしまったことで、誰からも文句のでない自己責任をはたした人たちに、誰がどんな論評をするのか、やはりわたしにはわからない。

今日は自宅の火事で逃げ遅れて、焼け死んだ母子がいた。
他人だから、残ったもののなげきを、本当にはわからない。
ただわかるのは、家が、有名人の実家の隣でなければ、ニュースにならなかったということだ。
日本中に注目されたことが、父や姉、あるいは周囲の人たちのなぐさめになるのか、逆なのか、やはりわたしにはわからない。

今日はカルト宗教の元幹部に、死刑判決が出た。
信者じゃないので、彼の苦悩も、理想も、喜びもわからない。
ただわかるのは、彼が物事の判断を他人に委ねてしまったということだ。
彼の命と、カルト宗教が殺したものの命と、今日世界中で亡くなったものたちの命と、その重さに差があるのか、ないのか、やはりわたしにはわからない。


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2004/05/14

小沢一郎恐るべし

小沢一郎。

当然ながら本人に会ったことないから、どんな性格の人かわかりません。
わからないけど、あれだけ傲慢だなんだと叩かれ、
属する政党をことごとく飛び出し、潰し、分裂させ、
剛腕だとか、こわし屋などと揶揄されて、
その上典型的な悪人顔。

それなのにまたまた野党第一党の代表になってしまう。

しかもその間、確実に野党は彼の意に沿う方向に純化され
保守の二大政党制へと向かっている。

ただ者ではありませんね。

彼の最終目的が、首相になることなのか、その先があるのかわかりませんが、
正しいかどうかはおくとして、主張は今の首相よりよほど筋が通っているし、論理的に破たんがない。
幸いなことに?国民年金の保険料も払っていたようだ。

意外と最後に生き残るのは、この人なのかもしれない。

候補はもうひとり二人いてほしいんだけどね。みんなこけちゃたから・・。

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2004/05/12

あえてwinnyはいかんと言ってみる

winnyというソフトを開発した、東大の助手が捕まった。

私はMacで、なんのかかわりもないので、へーっwinmXの後継ソフトだからwinnyって言うのかって、そんな興味しかなかったのだけれど、ネット世界的には、ものすごく波紋を呼んでいるようですね。

で、ちょっとこの間の文春の記事差し止め問題を思い出しました。

ネットと出版業界、土俵は違えども、どちらもその根幹に関わる問題をはらんでいて、それぞれの世界の論客達も、ここぞとばかり発言しているわけですが、必死なのは当事者だけと言うような・・・。

いわく、多少のいかがわしい記事も言論の自由を保証するためには必要悪である。
いわく、利用者が負うべき責任を開発者に問うことは、自由な研究開発を阻害する。

その通りなんだけどね。

だけど、田中真紀子の娘が離婚したとかするとか、そういう記事で言論の自由を語るか?
開発した本人が、著作権法無視のファイル交換を意図しているのに(しかも自分のHPで無料配付)、それでも無実かね?

なんだか、もっともらしいこと言って本音が透けて見えるのがとてもいやらしい。

雑誌が売れれば何でもいいんだろ?
タダでソフトを手に入れたいんだろうが?

たしかにね、何から何まできっちりかっちり、すぐ官憲の出てくるような社会は大変よろしくない。
グレーゾーンって必要ですよ。

だけど当事者が開き直っちゃいけないと思うのよ。
タダでソフトを手に入れた人は、それはほんとは悪いことなんだと、後ろめたい気持ちを忘れてはいけないのよ。
そのための本を出したり、HPを開いたりしちゃダメなのよ。
そういう、控えめな態度を失うから官憲が出てくるんだって、私はそう思います。

自分で自分の首を締める。手垢のついた言葉だけれども、そのことに気付いていない君たちが一番病んでいるよ。
(ものすごくエラそうですみません。一応私なりに危機感を感じるので)

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2004/05/04

自分以外はみんな馬鹿の時代(4)

世の中に流布している事実が、実はいい加減なものだったなんてことは何も今に始まったわけではありません。

こんなことを書いては身もふたもありませんが、本当に事実に即して、なおかつ深く考えて発言している人なんて、昔から微々たるものですよね。
大多数の人は、誰かのいった、もっともらしい意見に飛びついて、そうだそうだとついていったにすぎないんじゃないかな。

深く考えていないのだから、別の意見とであった時は、だだただ相手をののしるか、無視するか、そんな小学生レベルの(小学生に失礼か)対応しかないわけです。
それがまさに「自分以外みんな馬鹿」の正体なんだと。

だったら、なぜ昔はそうならなかったのかといえば、みんな見ていたもの、信じたいものが一緒だったからでしょう。
右翼も左翼も、結局のところ「豊かになっていく日本」と「明るい未来」を信じていたわけですよ。それから、自分達の「情けなさ」や「いけてなさ」もわかっていた。
だからやっていけたんじゃないかと、そう思います。
要するに日本中「なぁなぁ」というか「ツーカー」というか、そんな部分があったはずです。

別に昔がよかったなんていいません。(そんな年でもないしね、断じて)

個々人が違ったものを見られる世の中は、とりあえず自由です。
ただ、私たちは、そろそろ他人と接する時の新しい流儀を覚えなきゃならないのかなぁと、そしてたぶんそれは、他者に対する、尊重と畏敬の念なんだろうなぁと考えるのですよ。

それは私たちが失ったものではなくて、実はもともと持っていなかったものなのではないか、それが今回の結論なのです。

・・・・・・・・・・・・

長々と書いてきてどうにもおさまりの悪い文章になっちゃったなぁ。
時々思い出したように説教臭い文章を書く身としては、自戒を込めてアップします。

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2004/05/03

自分以外はみんな馬鹿の時代(3)

さて、昨日まで書いてきたのは、
・雑誌や新聞、ましてやネットに書かれているからといって真実とは限らない。
・真実かどうかの検証は往々にして不可能なことも多い。
って、ことなんですねぇ。(2日もかけたのにたったの2行かよ)

そして大切なのは
だから人は結局のところ、自分の信じたい真実を信じる。
これであります。

ここでいう真実は、意見と言い換えてもいいかも知れません。
意見というのは、本来いくつかの事実を積み重ねた上に出てくるのだと思うのですが、どうもそのもとの事実というのが、なかなか検証し難い上、たとえ同一の事実を見ていても、立場によって違うものに見えるとなれば(昨日の行列の話はそういう話しだったのだよ)、そこから出てきた意見というのも、どうやら多くの人にとっては、単に自分の信じたいだけのものであるような、そんなふうに思えるのです。

・ ・・・・・・ここでようやく本題。

作家の吉岡忍という人が、現代は「自分以外みんな馬鹿」という思想に毒されているのではないかと、そういう問題提起をしているんですねぇ。
実は彼がどういう人かよく知らないのですが、それはこの際、大した問題ではないでしょう、「自分以外はみんな馬鹿」このフレーズ確かに今の世の中を言い当てています。

彼が新聞紙上(平成15年(2003)7月9日付けの朝日新聞夕刊)に書いた文章から引用すると

(略)
ここには共通する、きわだった特徴がある。はしたない言い方をすれば、どれもこれもが「自分以外はみんなバカ」と言っている。自分だけがよくわかっていて、その他大勢は無知で愚かで、だから世の中うまくいかないのだ、と言わんばかりの態度がむんむんしている。私にはそう感じられる。
(略)
この現実はやっかいだ。自分以外はみんなバカなのだから、私たちはだれかに同情したり共感することもなく、まして褒めることもしない。こちらをバカだと思っている他人は他人で、私のことを心配したり、励ましてくれることもない。つまり私たちは、横にいる他者を内側から理解したり、つながっていく契機を持たないまま日々を送りはじめた。—それがこの十余年間に起きた、最も重苦しい事態ではないだろうか。
(略)

その通りでしょ?
あなたは政治家も官僚も警察も教師も銀行家もマスコミも評論家も芸能人もフリータ−も高校生もおやじも、みんな馬鹿だと思っていませんか?
たぶん向こうもあなたを馬鹿だと思っているのではないでしょうか。

吉岡はその原因を近代社会の専門性みたいなことにあるのではないかと、わずかに言及しているにすぎないけれど、それだけではないような、そんな気がするのですよ。

つまりそれが信じたいことだけを信じる、人の性にあるのかなと、そういうわけなのだけれども、書いていて、自分でも混乱してきました。
続きはさらに明日

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2004/05/02

自分以外はみんな馬鹿の時代(2)

世の中に流されている情報というものが、必ずしも真実ばかりではない、というのが昨日書いた話ですけれど、もうひとつ具体的な例を。

実はわたしの兄、共産政権末期のポーランドに住んでいたことがあります。「連帯」とか「ワレサ書記長」なんて方々がはばをきかせていた頃ですね。
で、日本の出版物だと思いますが、ワルシャワの店先に行列ができている写真が掲載されたのだそうです。
兄はそれを見て、ああ風物詩の林檎だか苺だかの販売だなと思ったといいます。日本の新茶とか、初ガツオに当たるもので、毎年行列ができるということで、今年もそんなシーズンなんだと。
しかし写真のキャプションは、「配給に並ぶ市民の列」というものだったそうです。

おそらく、昨日のミミズ肉の話と違って、この写真をとったカメラマンにはウソをつこうという意図はなかったと思うのですよ。兄貴の話じゃポーランド語のできる日本人なんて、実に微々たる数らしいので、多分このカメラマンもただ街で行列を見つけて、写真をとっただけだろうと、そして共産圏の行列なら、配給に違いないよねってな判断で、キャプションをつけたのだろうと、そういうわけです。

目の前の確固とした事実とおもえることですら、本当はどうなのかわからないということで、じゃぁ何を信じたらいいのって話ですよ。

●世の中を席巻している「マイナスイオン製品」は実はまったく効果がない。
●イラクの「劣化ウラン弾」、ベトナムの「枯れ葉剤」どちらも大した健康被害は引き起こさない。
●ダイオキシンが猛毒だなんてウソだ。
●アメリカの次期大統領候補は二人とも同じ秘密結社に属しており、協力関係にある。
●人類は月に行っていない。
●マリファナは体にいい。

トンデモ話から、どうやら本当のことまでありますが、これに確信をもって断を下せる人って、どのくらいいるのでしょうね。

自分では検証しようのない情報が溢れる世の中。
何を信じたらいいのかはおいといて、人々の信じているのは、結局のところ自分の信じたい情報。そして、そこから導きだされた、自分の信じたい意見なのではないでしょうか。(だって調べようないんだもの、だったら信じたい方を信じるわいなぁ)

でようやく、表題の話になるのですが、それはまたまた明日。

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2004/05/01

自分以外はみんな馬鹿の時代(1)

わたしの身内に、ハンバーガーを決して食べない人間がいるのですね。
別にコレステロールが気になるのではなくて、本人いわく、昔雑誌にハンバーガーのなかに食用ミミズが練り混まれていると書いてあったからというのですよ。
食用ミミズというものが実在するかどうか知りませんが(今調べたらあるそうです、ただし漢方薬用ね)、店頭に牛肉100%と表示してある店で、そんなことやってたら大問題。
事実ならマスコミが放っとくわけないしマックは潰れるよ、といくらいっても、頑としてわたしは雑誌で読んだの一点張りです。

御存知の方も多いと思いますが、これは有名な都市伝説で、おそらく99.9%ウソです。だいたい本当に雑誌記事が出たかどうかも怪しいですが(例えばこの記事の1の最後の方を見てみよう)、とにかく活字になったことで、彼の頭のなかではそれは事実になってしまっているのですね。

確かに本や新聞に書いてあること、あるいはテレビやラジオでやってたことは、とりあえず真実なのだと思ってしまうのは、ありがちなことなのだけれど、実際には全然そんなことはないわけで、それどころか、ウソ、ねつ造の類いまであふれかえっているのが現状なのであります。

さすがにミミズ肉は、ちょっと考えればわかるのですが、なかには本当なのかどうなのか調べようがない、もしくは調べるのにものすごく労力を要することも多いわけで、嫌なことだけれども情報に接した時は、とりあえず疑ってかかれみたいなことにもなるわけですよ。
特にネットの世界では、そういうことがまったく仁義無しなので、よくよく気をつけなければいけないのです。

さて何がいいたいのかというと、それはまた明日

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2004/04/28

どうよイアン・ソープ?

高橋尚子をはじめとして、オリンピックの選手選考ってけっこう毎回もめて、そのたびに偉そうなコメンテーターが、「欧米では明確な基準が云々・・」って話をするわけだ。

だけど今回のイアン・ソープはどうなのよ? (オーストラリアは欧米じゃないってのは無しよ)

ことの経緯を知らない人に
  — オーストラリアの国民的英雄、水泳のイアン・ソープ選手は400m自由形国内選考会でフライングのため失格、アテネオリンピックのこの種目での出場権をえられなかった。その後、同種目2位の選手が、この種目出場辞退を表明、3位が繰り上がるのではなく、選考会で記録のないソープが出場となるらしい。辞退した選手にはさまざまの圧力がかかった模様で、選考会以来睡眠薬がないと眠れなかったとか —

端から見ると、おいおいそれでいいのかオーストラリアってな感じなんだけど、まぁ、いいんだろうなオージー的には。

結局、制度は人間の作ったもので、その人間はけっこういい加減なものだということだね。
以上感想でした。

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2004/04/12

何で簡単に言えるのか

2日ほど前にここにイラクの人質事件のことを書いたこともあり、ネット上の世論? も気になっていたので、あちこちのサイトを見てまわった。

99パーセントの人は日本にいて、テレビや新聞、せいぜいが外国のサイトを見たくらいで書いているのだろうから、みんな似たり寄ったりの内容になるのは仕方ないのかなぁ、なんて思ったんだけれど、みごとに「どうすればいいのかなぁ」と「自衛隊引っ込みなさい」と「3人はアホだ」の3つしかない。
選択肢は自衛隊撤退と自衛隊残留の二者択一しかないわけだから、当たり前なのかもしれないけれど、それにしても深みがないというか、なんというか・・。

人命を錦の御旗に、デモなり署名なりネット以外で活動を起こすのは、ほとんど撤退派の人々だったりする一方、ちょっと読むにたえないような罵詈雑言を書くのは、必ず残留派(冷静な人も多いけれど)みたいな色分けも、いろんなことを考えさせられて、面白いといえば面白い。
しかしまぁ、純粋に記事だけを読むと、正直もう少しバランス感覚というか、冷静にものをいう人が多いのかなと思っていたから、この程度なんだと。

たとえば人質となった3人についての考察はほとんどなされていないようだ。「善意のボランティア」もしくは「プロ市民」というレッテルをはって終わりにして、それ以上の言及がない。
だけど三者三様だと思うんだけどなぁ。

一番イラク入りに熱心だったらしいカメラマン
彼はかけ出しで、この仕事に今後の人生をかけていたのではないだろうか? 週刊朝日に一度記事が出たことを云々する向きもあるけれど、彼は朝日の社員でも、朝日と契約しているわけでもなく、自費でイラクにいったわけで、思想的な背景などないだろう。(かけ出しのカメラマンなら、雑誌など選ばないよね。もし噂の真相しか使ってくれなければ、喜んで出稿するだろうし・・だいたい彼は、もともと自衛隊に勤めていたというではないか)
ただの戦場カメラマン志望の青年が、ムチャをしてしまった様に思えてならない。

ひとりNGOと呼ばれていたという女性
彼女は一番経験もあり、今回もイラク入りを逡巡していたという。プロ市民というのがどういう概念なのか、正確には知らないけれども、たとえばダムができるというと、どっからともなくあらわれて、地元の人間でもないのに反対運動を仕切ってしまう、そういうのをプロの市民運動家というのではないのかなぁ?
彼女のしていたのは市民運動というより、個人運動だったわけで、しかも実際、彼女に救われた人間が、少なからずいて、そのことは日本という国にとって、はっきりとプラスであったはずなのだ。
今回のことで日本に与えた損害なるものと(それがどれほどのものか誰もきちんと答えていない。) 秤にかけるのだろうけど、わたしには、ばか者だと切って捨ててしまう気にはなれない。

18才の少年
ただただ18という年齢に驚いたわけです。ことの是非とは別に畏敬の念さえ抱いたくらいで。
冷静に見て、彼がこの時期どうしてもイラクに行かねばならない理由はないし、非常に軽はずみだったとわたしは思う。生きて帰れたら、自己批判もしなければならないでしょう。
でもどこぞの掲示板に匿名で非難中傷の文章を書きなぐり、税金も払わないのに日本人の血税を返せなどとのたまっている、どこかの18才よりはずいぶんましだよな、絶対に。

自戒を込めて書くけれど、わかりやすい言説というのは一番危険。
勇ましい話、歯切れのいい話、もう一度自分で考えてみた方がいいんじゃないか?

「一人の命は地球より重い」わかりやすいけどウソだよね。
「3人は日本に多大な損害を与えた」わたしは退避勧告が出たら、軍人以外全員引き上げてしまうような国の方が気持ち悪いとおもうよ。

そういうことに悩んで悩んで、自分なりの意見なり考えなりを表明しなくちゃいけないんじゃないかと、あんまり簡単にいいとか、悪いとかいうなと、そう思いました。

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2004/04/09

イラクの誘拐事件

普段のこのページの雰囲気とはちょっと違うのだけれど、この件は真面目に書きたいと思う。

3人を誘拐したのは、もちろん過激派で、イラク人の大多数の意見の代表だとは思わないけれど、それでも彼等が次々事件を起こす土壌はあるわけで、それなりのシンパシーは得ているのだろう。
日本人の感覚で、われわれは給水活動に行っただけですよといったところで、現地では、不法拘束だとか、誤射だとかで、夫や子供や兄弟達が、いなくなったり死んだりしているわけで、そういう状況のもとでは、いちいち他の国の軍隊と区別をしてくれないことは、充分あり得る。

くりかえすが、彼等の理論がイラク人の総意ではないと思う。けれども、そもそも過激派に走る人間というのは、思考停止ぎみで血の気が多いわけで、そういう奴はどこの国のどこの民族にもいるのだ。ましてや、われわれの想像を越えた、深い歴史的背景のある中東でのことだ。悪の組織「てろりすと」と平和を愛する「一般民衆」がわかりやすく並立しているわけでもないだろう。

善意だろうが悪意だろうが、他人のケンカに介入していくには、それなりの覚悟がいると思うし、今回その覚悟が日本政府にあったとは思えない。
首相はこの件に関しても「まったく理解できませんね」ですましてしまうのだろうか? それよりなにより、彼はなぜコメントしないのだ?

だから自衛隊なんか送らなければよかったんだと、そう思うけれど、いまさらいってもしかたない。

これから日本政府がどう対応するかが、大問題なのだと思う。最初に軍隊を送った時点で、間違えているのだから、次にどのような手を打っても、いい方には転ばないだろう。せめて理念をもった対応をしてほしいものだ。

自衛隊を駐留させ続けるのならば、われわれは何人殺されても水を配り続けますよと、国内外に宣言するべきだと思う。
そして撤退するというのなら、われわれは判断を誤りましたとはっきりいわなくてはならない。

最悪なことは、意志を示さずにずるずるとイスラムの敵になってしまうことだろう。さんざん攻撃されて、どうにもならずに撤兵というのが、この国にとっても、また世界にとっても一番選択したくないシナリオだと思う。

最後に、もしかして3人は殺されてしまうかもしれないのだけれども、あえてそれは自己責任なのだといいたい。ただ、彼等を責めるようなネット上の意見には同調できない。彼等は日本代表なのではなく、彼等なりの方法でイラクと関わろうとした個人にすぎないのだから、英雄にする必要はないが、おとしめる理由もない。
無事に戻ってくれるといいなと思う。

追記
その後この自己責任という言葉が変な意味を持ち出して、困惑している。わたしの言う自己責任は、この状況で死んでも、犯人以外に罪はない。と言うことで、決して3人に費用を負担させろとか言うような、矮小な話ではない。

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2004/04/08

高校で短銃自殺

殺人犯が、タクシー運転手をおどして逃走の末、パトカーに挟みうちにされると、走って近くの高校の敷地に侵入、その場で短銃自殺だって。
下手な刑事ドラマじゃないんだから、いいかげんにしなさいって感じだよね。
何もなかったからいいけれど、これで犯人が生徒を人質に、なんてことになったら池田小学校の二の舞いだよ、まったく物騒な話。

そういえば池田小の時は、ずいぶん学校の安全体制なんぞをとがめる向きがあったけど、それは酷ってもんだと思うんだよね。
だって誰もいきなり殺人者が短銃だの包丁だのもって押し掛けてくるなんて思わないもん。というか、それが「正常」な感覚だよねぇ。わたし間違っているでしょうか?

あんまりおかしなことが多いと、正常な感覚でいることが難しくなってくる。
一昔前までは、「学校の校門を閉めるなんて、教育の閉鎖性の象徴だ」なんて、テレビでしたリ顔で発言する文化人がけっこういたもんだけど、今じゃ「開けっ放しなんて、安全意識の欠如」だもんね、どうすりゃいいんだか。

と、時事ネタをひとくさりしたところで、学校にやってきた厄介者ということで思い出した話をひとつ。

昔、どうしようもない悪ガキがいて、あんまり手におえないので、とうとう保護者を学校に呼びつけるということになったのですね。
で、担任はじめ、生徒指導主任、教頭などが、今日はちょっと強くいってやろうと、待っていたそうです。
そろそろ来る頃だと、職員室から、校門のあたりを見ていると、いきなり迷彩塗装をした街宣車が乗り入れてきて、運転席から、例の生徒の父親が降りてきたと・・・・。

教頭は逃げたそうです。(それも正常な感覚だ)

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2004/04/07

回転ドアと公園の遊具

回転扉の次は公園の遊具。世の中には危ないものがたくさんあるのだね。でも、人が死んだり指を飛ばしたりしないと問題にならないのはなぜだろうか? というか、なんだって大きな事故が起こると、実はわたしもという人たちが、わさわさ出てくるのだろう。(いや別にその人が悪いわけじゃないけどさ)

管理者の責任を問うのは、まぁいいでしょう。特に森ビルあたりには徹底してもいい。
でも、事故があるのを知っていて、そんなのは記事にならないと没にした人たちが、ここに来て急に責任追求みたいなのは、なんだかな、ちょっと引っ掛かったりするのだけれど。

いやね、でもそれはそうなんだ。わたしの感想はおいといて、確かに回転ドアにぶつかって、ちょっと頭にこぶを作ったくらいではニュースにならないし、しないのが普通。公園の遊具だって事故が多発しない限りは、危険性には気付かない。
時々悲惨な事故が起こって、人々が考えて、それで対策なりなんなりが考えられて・・・。

でも、間違えてはいけないのだけれど、世の中は本来危ないのですよ。
たとえば回転ドアより遊具より、自動車事故の方が何倍も多い、多いけれどもありふれているから、車を排除しようとかそういうことにはならないだけで、本当は危ない。要は、利便性だとか、そのあたりとの兼ね合いで、どのくらいの危険までは必要悪と割り切るか、納得するかと、そういうことでしょう。

で、ここからが本題だけど、例えば回転ドアがなくても、当面何の問題もない。だから、危険な回転ドアは今後作るのをやめましょうでもいいかもしれない。

公園の遊具はどうだろう。昔はもっと過激な造りの公園や危ない遊具もあったけれど(そしてそういうものほど子供に人気があったのだ)、だんだんマイルドになってしまった。無理して危険なものを作らなくてもいいけれど、何の危険もない遊具ってあるのだろうか?
というか、子供は、そんなもので遊びながら、安全とかそういうものに対する感覚を学ぶのではあるまいか?

かつて、子供が溺れれば、川岸や沼地には柵がされた、土管やブロックの資材置き場にも塀が作られた。変質者があらわれれば、見通しが悪いと木を切った。
どうなんだろう。どのへんで折り合えばいいのだろう。

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2004/04/05

テコンドーその後

先月の中ごろに、高橋尚子がオリンピックに出られないことよりも、岡本依子の問題の方が絶対理不尽だという記事を書いたら、連日何人もの方が、こんなマイナーなページにやってきて下さったのでした。
たいして内容もない文章に、(実際冒頭の要約ですべてです、ははは・・・) コメントやトラックバックもいただき、なんだかかえって恐縮したわけなのですが、そんなこんなで、この問題についてはその後も気になっておりました。

マスコミの無関心も、最後にきて集中的な報道がなされて(それはそれで問題だけどね) 少し風向きが変わったのか、とにかく岡本さんはオリンピックに出られるようですね。とりあえずめでたい。がんばってほしいものです。

さて、しかし、わたしのようにただ書きっぱなしではなくて、具体的にいろいろと行動を起こしておられる方がいるのには、電脳世界の底力みたいなものを、垣間見た気が致しました。ウェブ上での署名の存在や、マスコミではまったく伝わらない、今回の騒動の経緯、さらには実は日本にあるテコンドー団体は2つではなく4つで、それぞれの背景には、韓国内の2つの団体や、北朝鮮系の団体があることなどなど、いろいろな情報を知ることができたのも、それらこの問題にアクティブに取り組んだ方々のおかげであります。(あっ、ただし今回の騒ぎは、単純に当事者間の個人的確執みたいですがね)

いろいろ知れば知るほど、考えることも多いのですが、モニターの上のテキストを、実際の世界にどう反映させ、何ができるのか、今回一番考えたのはそんなことです。(あー、なんか偉そうだなぁ・・)

ブログというものの、本来のあり方なんてものも、ちょこっと経験できたような、そんなわたしではありますが、今後ともここは、ただの雑文サイトなのです。

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2004/03/25

尖閣諸島に思う

どっちに領有権があるかはおいといて、どちらの政府も事を荒立てたくはないんだよね。
なのに事をややこしくするのは、いつも"純粋"な馬鹿者達だ。
フォークランド紛争はなぜ起こったか知ってるか? アルゼンチンの民間人が、フォークランド諸島に国旗を立てにいったからだぞ。それで戦争になって人が死ぬんだぞ。
一番くだらない種類のナショナリズムに突き動かされた中国人も、これから尖閣諸島に行こうなんていってる日本の馬鹿も一緒。ちょっと頭冷やせよ。

まだ足りなければ、一時和平へと向かっていたイスラエルとパレスチナが、一挙に泥沼化して、今あんなことになってる直接の原因を教えようか?
シャロン(現首相)が、周囲の反対を押し切り、突然武装したガードマンと共に、イスラムの聖地に踏み込んだからなんだぞ。同じ敷地には、ユダヤ教の聖地も存在していて、一種の領土争いをしていたわけだよ、わかるかい。

お互いこぶしを振り上げちゃったら下ろせないんだって、ほんと俺だってわかることを何で気がつかないんだろう?

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2004/03/23

造形作家な年金問題

江角マキコには大笑いですね。
やっぱりコマーシャルに出ていて、自分が未納はまずいよねぇ。これだから「私らしく」とか「自然体で」なんていうやつは信用できないんだと、要するにマキコが嫌いなわたし。

しかし正直いって、わたし自身、妻の扶養家族でして(おーい、何で不要家族って変換されるんだよー)、保険料は相方の給料から天引きなんで、あんまり偉そうに言えないんです。
まぁ誰だって、目先の金は大切。健康保険にくらべて、普段なくて困る機会がないので、払わないんだろうなぁー。

だけどね、この先、造形作家として芽が出ないと、子供がいない私たち夫婦は、将来年金で暮らすしかないわけよ。これは個人的にとても切実な問題で、わたしの幸せな老後のためにも、年金制度がつぶれては絶対困るわけです。

思うにこういうものこそ、消費税で一律徴収にしてしまえばいいじゃないですか。
前の選挙の時、確か民主党のマニフェストでそういう方向を出していたような気がしたけど(間違っていたらごめんね)、政府は消極的なんだよなぁ。
未納問題は解消して、財源は安定、消費税が上がっても、その分保険料はなくなるんだから、払っている人にとっては問題ないと思うのだけど、素人考えなんでしょうかねぇ。

どなたかそのあたりに詳しい人、間違ってこのサイトにたどり着かれましたら、ぜひ教えて下さい。

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2004/03/20

文春問題

えーと、時々書かないと自分が忘れそうだから書くけど、これは造形作家の活動報告というか、そういうサイトなんです。ここのところやたらとマスコミ批判めいた文章ばかり書いてますが、決して本業を忘れたわけではございません。
ただね、個展が終わったら気が抜けて、ぼーっとテレビ見てたら、なんだか気になることが多くてね。つい書いちゃうのよ。小人閑居して不善をなす(器量の小さい人はひまでいると、つい、よくないことをするby広辞苑)とは真実です。わたし、器が小さいので気をつけなくては。

さて、舌の根も乾かぬうちにマスコミ批判ですが(おいおい)、文春の出版差し止めの話。
普段のわたしの思考からすると、どっちかといえば多少あぶないものでも、やたらと検閲めいたことはまずいんじゃないのと思うはずなんですが、今回はどうもねぇ。
あんまり素直に文春がんばれと言えない気持ちでいたら、椰子さんの記事が、その辺のところうまく説明して下さっているような気がしたので御紹介します。

要するにお前なんかに「言論の自由」を語られたくないぞってことなんだよね。問題の記事があんまりにもお粗末なんだから、しかたないでしょう。

例えばあのロス疑惑の時、実は三浦サンが獄中で起こした名誉毀損などの訴訟に、マスコミはことごとく敗訴していたのは有名な話だけれど、それでもあの時はどっちもどっちというか、そんな感覚があったわけです。(別に肯定はしないけど)
だけど田中真紀子の娘、あるいは角栄の孫ってだけで大週刊誌に叩かれてもねぇ・・。
彼女が田中家の後継者だというのなら、政治家デビューがはっきりした時点で、いくらでも報道すればいいでしょう。

今回は他山の石(自分より劣っている人の言行も自分の知徳の助けとすることができるby広辞苑)として、他のマスコミも受け入れたらどうだろうかと思うわたしでした。

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2004/03/19

こっちの方が大問題

高橋Qちゃんより岡本依子である。
シドニーで銅メダルをとった、テコンドーの岡本依子の、アテネオリンピック出場が絶望視されているという。
彼女のせいではない。彼女は実力で、すでに出場権を得ている。
なのに、テコンドーの国内団体が二つに分裂していて、いい大人が雁首そろえて2年かけても解決できないらしい。日本オリンピック委員会(JOC)の定めたタイムリミットは3月末。それまでに組織の一本化ができなければ、日本はテコンドー競技に選手を派遣しないのだそうだ。

いいのかそんなことで? 少なくともこの理不尽さは高橋の比ではないだろう。

仮にこれがマラソンだったら、いや少なくともテコンドー以外のもう少し人気のある競技だったら?
あるいは仮に彼女が日本で唯一のメダリストだったら?
マスコミは連日大キャンペーンをはって、事態はこんなことになっていないのではあるまいか。

いったいこの関心の低さはどこから来ているのだろう。今パソコンで検索をかけても、今回の事情に触れたような記事はとても少ない。高橋の落選記事の百分の一にもなるまい。でもそれって絶対ヘンだ。
女子高生風にいえば「ありえなーい」である。

声を大にしていう。もっと報道すべきことを 報道しろよマスコミ! それと岡本さんの1人くらい、何とかしてやれよ責任者!!

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2004/03/17

小野会長問題

最近気になっているのが釈尊会の小野さん(←秀逸なのでリンクはらせていただきました)。もうほとんどラスプーチン扱いですよね。
正直いってわたし、若村さんって人をまったく知りませんでした。もちろん小野さんも。
しかし女優と教祖(正しくは会長か)の組み合わせは確かにインパクト有りますし、失礼ながら二人のルックスの落差がこれまた強烈ですよね。これはワイドショー大喜びだよなぁ、なんて思っていたら案の定すごいことになってます。

最初は恐る恐るの報道でしたが、何かないかと必死で探したんでしょうね、金銭トラブルとか、某週刊誌では怪しげな儀式をしていたとか、いろいろ出ています。

でもねぇ、金銭トラブルの有る芸能関係者なんていくらでもいるでしょうに、どう考えても、これは叩こうとして叩いてますよね。
第一印象がどうみても胡散臭いから、きっと胡散臭いやつなのだろうと。

これがたとえば、事務所のマネージャーとか、そんな地味なポジションの人が相手ならば、絶対プライバシーを暴かれることなどなかったのです。
じゃ、ニ枚目で金持ちだったらどうか・・。これは二枚目具合、成り上がり具合で微妙に違うのですね。金融関係で元プレイボーイなんていう経歴だと、絶対叩かれます。(あえて言い切ってしまいましょう・・でも間違ってないよね)

結局、事実うんぬんではなく、あらかじめ望んだ結果に向けて番組なり記事なりを作ってるのはいかがなものかと、わたしそう思います。

おっ、今テレビで高橋尚子と若村麻由美の会見徹底比較ってのをやってるぞ。
お互い比較されたくないだろうにねぇ。

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2004/03/16

遅ればせながらQちゃん問題

昨日から高橋尚子一色ですな。まぁいろいろ考え方あるだろうし、ここでわたしが意見表明したところで、よけいなお世話だろうけど、ちょっと騒ぎすぎだよねぇ。どの局も記者会見にはそれなりの大物アナを送り込んでいて、力の入れ具合がわかるのだけど、「(落選したことを真実だと)いつ信じられましたか」なんていう質問は、降って湧いたこの事態を、必死で盛り上げようとする姿勢が見えて、いやらしいなぁと。

だいたい、マラソンでアメリカが勝てないのは、選考が一発勝負だからという話もあるくらいで、日本式の曖昧な選び方も、ことこの競技にかぎってみれば、そんなに悪いことではないかもしれない。松野・有森の時は、実績で有森を選んで見事成功した日本陸連が、こんどは選考レースを重視して、またメダルということになれば、それはそれで英断なのではないか?

もちろんメダルをとるのは選手自身だし、松野が出れば金メダルだったかもしれないけれどね。

要は、選考過程を明らかにして、失敗した時は選んだ人間が謝るなり、辞めるなりすればいいのよ。本人にとっては、それは大問題であろうけれど、少なくとも今回の選考劇は、ニュース速報や号外には値しないと思うけどなぁ。

それにしてもテレビはあざとい。また明日続きを書きます。

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2004/03/08

自殺した会長夫婦

鳥インフルエンザ発生の届け出が遅れたとして、大問題を引き起こした、浅田農産の会長夫婦が自殺したという。
どう考えても、たとえそれが養鶏業会の慣習に従っただけという、会社の言い分を信じたとしても、
非は圧倒的に彼等にあるのだから、世間の非難を浴びるのは致し方あるまい。

しかし、そういう場合の、
つまり正義はこちらにあるのだと確信を得た時の、マスコミ攻勢はいかほどのものであったろうか。
たとえば北朝鮮。あるいはオウム。はたまた野村サッチー。
こいつのことは叩いてもいいのだと知ったマスコミは恐い。

そして、たとえば今回のように自殺者などが出ると、波が引くように、すーっと静かになる。
キャラクターとしては、会長の息子の社長の方が、変に正直な分、叩かれそうな雰囲気であったけど、
もうあまりテレビにでてくることもないと思う。
死んだ人間に対して、この国のマスコミは優しい。
冷めたピザなどと(言い出したのはアメリカのマスコミだけど)、さんざん叩かれた小渕首相は、いつのまにか名宰相にされていて、その娘に対してまで好意的な報道しかなされない。

そういう意味では、会長夫婦は身を持って、息子を守ったのかもしれない。

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2004/03/06

美しきものの伝説

うちの夫婦は芝居を見るのが嫌いではない。
しかし、わたしは根が無精者なので、自分からチケットをとることがほとんどない。

一方、妻はアクティブなので、せっせと誘いをかけて、夫を連れ出そうとするのだけれど、
年をとったせいか、どの芝居もつまらなく思えて、いつもわたしは生返事である。

業を煮やした妻は、近頃は勝手に予約を入れて、○○日は芝居見に行くからそのつもりでねと、有無をいわさぬようになった。そこまでされれば、わたしもおとなしく腰を上げるわけだ。

当然、誰が出ているどんな芝居かもわからずに、見に行くことが多くなったのだが、まあそれはそれで面白い。

昨日もそんなわけで、紀伊国屋ホールに「美しきものの伝説」という芝居を見に行った。

役者も演技も演出も、舞台美術もよかった。
満員だった。
しかしどうしようもなくつまらなかったのである。

脚本が昭和43年初演で、内容が、役者同士大声で政治論や演劇論をぶつようなものじゃ、しかたなかろう。
初演の時はそれでもよかったかもしれないし、客がすんなり芝居に入っていければ、いい本なのかもしれない。

だけど、大杉栄の政治論や小山内薫の演劇論だよ。
日本史の授業だって飛ばしてしまうような、近代史。
その上試験にも出そうにない文化史だよ。
くしくも演出家自身が書いているように、今なぜこの脚本なのだか、全然必然性がないのである。

だいたい幕間で、よく時代背景がわからない人は、パンフレットを買ってね、なんてふざけたことをいう芝居があっていいもんだろうか。
歌舞伎や文楽じゃあるまいに、時代から離れたら、古典芸能と何のかわりもないじゃないか。

と、珍しく真面目に怒ってみせるのであった。

もちろん妻が、当たりの芝居を選ぶことも多いわけで、次回に期待しましょう。

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2004/03/01

生こわーっ

ここのところ妙に気になるのが、入社早々らしい3人の若い社員が、初めて社長と出くわして
「俺、生社長見るの始めてだよ」
「秘書まで生だよ」
などと大声で噂しあい、件の社長に「なんだ君たち」ととがめられると
「出た生カミナリ」
「生こわーっ」
と叫ぶCM

何で気になるのかといえば、笑えないから。

演じる役者のものすごく馬鹿そうな顔といい、本人を前に「出たァ」と大声を出す常識の無さといい、
誇張じゃ無くて、ああいう若い奴はぜったいにいるのである。
つまり、ものすごーくリアルなのである。

最後に何のおとがめも無く、3人で和気あいあいとウーロン茶を飲むラストも
なんだか、一連の出来事が思いっきり日常のようで、うすら寒い感じがしてしまう。

こんな馬鹿を雇ってどうするんだよ社長さんと、思わず突っ込んでしまうのであった。
ほんと、とっととクビにしないと会社つぶれるよ。

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2004/02/29

今さら気付いたこと

昨年HPを持ってから、自社比50%くらいネット接続時間が増え、HTMLだの何だの、いままでアンタッチャブルだった、数々の謎の言葉に対する知識も増え、この世界に対する見聞が少ーし深まってきた。

そうすると、今だにiMacでos8.6で、しかも最近まで、ダイヤルアップ接続だった自分が、今風のかっこいい、できたらフラッシュなんかの入っているHPを持とうとした無謀さに、ただただ恐れおののくのであった。

まぁ、それはいい。
ヤフオクで古いバージョンのHP作製ソフトを手に入れてまで、何とかページを立ち上げた自分をほめてあげよう。

問題はMacである。

今まで深く考えずにきたけれど、いろいろわかってみると、世の中あまりにも我々、Mac信奉者に冷たすぎやしないか?

たとえばブラウザ
わたしもご多聞にもれずIEを使ってるわけですが、この間知ったのだけど、世間の主流は(つまりWindows様の世界では)IEのバージョン6らしい。(そんなことも知らなかった俺)
わが家のMacでは5.0だから、じゃ最新版をダウンロードしようとしたら、Mac版のIE6はないというじゃないですか。
理由は、アップル社の開発した新しいブラウザの方が使い勝手がいいから、そっちを入れてくれということらしい。

だけどね。その新しいブラウザMac osXでしか動かないんですよ。
わたしはどうすればいいのですか? os入れ替えろってか? ただじゃないんだぞぉ。
しかも、古いバージョンでは、世の中が進むにつれいろいろと対応できないことも出てくるというのに・・。(現にこのココログも、IE5じゃうまく見れなかったりするらしいし)

仕事でウィンドウズも使ったことがあるから、Macの使い勝手のよさは身にしみている。だから、少数派であってもついていこうと思っているのに、もう少し、一般人の、おののきながらも何とか、ウェブの世界に入っていこうとする、この40男に優しくてもいいんじゃないか?

資本主義だから仕方ないか・・。

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2004/02/28

判決

昨日麻原に死刑判決が出た。
それは別に驚くことではない。

朝からずっとテレビ中継している。拘置所を出るところから生中継である。
それもまあ、そうだろう。

地裁には、記者を入れるために各報道が雇ったバイトが、傍聴券をもらうため何千人もならんだという。
さもありなんだ。

その瞬間、ようやく何時間もかけて判決が出た瞬間、おそらく体力があるとか、そんな理由で選ばれただろう各社の若い報道局員が、全力疾走でカメラの前に飛び込んでくる。
話していた別の局員を押し退け、少しカメラを通り過ぎ、大声で、息も絶え絶えにくり返す。
「死刑判決です。死刑判決が出ましたぁ。」
このテレビ局も、あのテレビ局も、どのテレビ局も。

滑稽。 
本人たちが真面目であればあるほど周囲には悲しく映るもの。
オウム教団もそうだった。 滑稽。

いいかげん気づいてもいいだろうに。

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